八重山方言研究家として東恩納寛惇賞や吉川英治文化賞を受賞した宮城信勇(みやぎ・しんゆう)氏が16日午前7時55分、老衰のため那覇市内の病院で死去した。98歳。石垣市新川出身。告別式は18日午後2時半から午後3時15分、浦添市伊奈武瀬1の7の1、いなんせ会館で。喪主は次男信博(のぶひろ)氏。
九州帝国大学法文学部を卒業後、教員や八重山群島政府文教部長などを経て琉球政府企画局長、沖縄電力取締役を歴任。定年後、後に自身も受賞した伊波普猷賞の受賞者で母の文さんと石垣方言研究に本格的に取り組んだ。
1977年には八重山地方に伝わることわざをまとめた「八重山ことわざ事典」、2003年には30年以上にわたる研究の成果として1万7千を超える方言を収めた「石垣方言辞典」を完成させた。
1973年に沖縄の日本復帰を記念して国体が開催される際には、愛称公募で当選し「若夏国体」の名付け親となった。