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<判決要旨>あの「付言」の内容も 琉球遺骨返還請求訴訟 控訴審・判決要旨 


<判決要旨>あの「付言」の内容も 琉球遺骨返還請求訴訟 控訴審・判決要旨  百按司墓=今帰仁村
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 琉球遺骨返還請求訴訟で、原告の控訴を棄却した一方、遺骨はふるさとに帰すべきだと指摘した22日の控訴審判決の要旨は次の通り。

【事案の概要】
沖縄地方の先住民族である琉球民族に属する原告らが、昭和初期に京都帝国大学(当時)の研究者が今帰仁村運天に所在する第一尚氏の王族などを祀(まつ)る墳墓(百按司=むむじゃな=墓)から遺骨を持ち去り、京都帝国大学を承継した京都大がその遺骨の一部を占有保管している。
【国際人権法、憲法に基づく遺骨の返還請求権】
原告らは憲法13条、20条、自由権規約27条を根拠として、少数民族の文化享有権に基づき、返還請求権を有すると主張する。
規約は、宗教的少数民族に属する者が自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰し実践する権利を否定されないと定めるのみだ。諸規定や人種差別撤廃条約などの国際人権法の趣旨・目的を考慮しても、琉球民族に属するどの者に請求主体を認める基準を見出すことは困難だ。規約が琉球民族に属することを根拠として、個人としての請求権という救済を認めていると解釈することはできない。
憲法の規定も、個人の尊重の原理に基づく幸福追求権、信仰、宗教的行為の自由を保障している。だが文言が抽象的で、返還請求権を認める趣旨を読み取ることは困難だ。規定が自由権規約を具現化し、原告らに請求権や法的地位を直接付与していると解することもできない。国際人権法の規定も、個人に遺骨の返還請求に係る具体的な権利を直接付与するものとは解されない。
原告らが国際人権法、憲法に基づき請求権を有するということはできない。
【所有権に基づく遺骨の返還請求権】
遺骨が墳墓から持ち出され、祭祀(さいし)財産である墳墓と独立して扱われるべきものとしても、祭祀財産に準じ、慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者に帰属すると解するのが相当である(民法897条1項、最高裁判決)。
原告らは、畏敬・追幕の念を抱いて祭祀を行う者が祭祀承継者となるなどと主張する。しかし個々の遺骨の帰属関係は明確に定められるべきだ。不特定多数の追慕者ら全員に遺骨が帰属し、追慕者であれば何人でも請求権を行使することができるなどと解することはできない。
原告らは、第一尚氏の子孫である亀谷正子と玉城毅が「祖先の祭祀を主宰すべき者」に当たると主張する。他方で、亀谷と玉城による参拝などは他の多数の子孫ら、門中と同等の立場で、共同墓において信仰の対象である「祖霊神」を拝むなどして祭祀を行う行為にすぎず、慣習に従って「祖先の祭配を主宰すべき者」と認められない。
【不法行為に基づく損害賠償請求】
亀谷と玉城は、第一尚氏の王族または支配層である有力者の子孫で、祖先の遺骨を墓内に安置した状態で祀りたいという期待や利益は、宗教上の人格的利益として法的保護に値すると解する余地がある。
しかしその利益は、所有権や生命・身体などの排他的・支配的な絶対権とは性質を異にし、範囲を客観的に確定できず、外延が不明確だ。社会生活における他の利益などとの調整を図る必要がある。
京都大の行為は、研究目的で収集した遺骨を百接司墓に戻さないという不作為と現在の保管という作為である。当時の収集が、刑事罰が科される違法な態様でされたことを認める証拠はない。
保管態様は、温度と湿度が一定に保たれた博物館の収蔵室内で、虫害の予防措置を取り、プラスチック製の直方体の箱に入れ、レール式移動棚に置くものだ。一部は標本番号が記入されているものの、研究目的で収集された学術資料で、現在の保管も研究目的であり、保管態様が不当とはいえない。
信仰や祈りを捧(ささ)げる対象ととらえる亀谷と玉城からすると、保管態様が死者を冒とくし、死者に対する畏敬追慕の念を甚だしく害すると受け止めることも理解できなくはない。
だが、京都大による行為のうち、現在での評価の対象となるのが、私法上の返還請求権を有しない遺骨を保管していることであることから、保管態様をもって社会生活上許容される限度を超えたものと評価することはできない。
請求には理由がない。
【付言】
遺骨を持ち出した研究者の金関丈夫は、警察などの許可を得て、問題意識を有しないままに、遺骨を持ち出したと考えられる。それを報じる琉球新報も、研究の一貫として当然のことととらえている。金関は1930年、「琉球人の人類学的研究」によって医学博士号を取得。54年に文部省から派遣された南島文化総合調査団の一員として、沖縄を再訪し、百按司墓などの土器石器類の調査をしている。この間、金関らの行為を問題視する者はいなかった。
ところが現在では、先住民の遺骨返還運動が世界各地で起こっている。オーストラリアでは88年までにビクトリア博物館に保管されていた遺骨の返還がされ、その後もイキリスやドイツ、アメリカ合衆国などからの遺骨返還が実現している。ドイツは2011年に旧植民地ナミビアに遺骨を返還している。アイヌ民族の遺骨は、17年にドイツから、今年5月にはオーストラリアから我が国に返還されている。本件に関しても、金関が1934~36年頃、台北帝国大学(現在の国立台湾大学)に転任する際に持ち出した遺骨のうち頭蓋骨33体分は、台湾大学、沖縄県教育委員会らの協議に基づき、2019年に県立埋蔵文化財センター収蔵庫への移管がされている。遺骨の本来の地への返還は、現在世界の潮流になりつつあるといえる。
遺骨は語らない―。遺骨を持ち出しても、遺骨は何も語らない。しかし、遺骨は、単なるモノではない。遺骨は、ふるさとで静かに眠る権利があると信じる。持ち出された先住民の遺骨は、ふるさとに帰すべきである。日本人類学会から提出された、将来にわたり保存継承され研究に供されることを要望する書面に重きを置くことが相当とは思われない。
遺骨の所有権に基づく引渡請求などが理由がないことは前記のとおりであり、訴訟における解決には限界がある。今後、遺骨を所持している京都大、祖先の百接司墓に安置して祀りたいと願っている亀谷と玉城のほか、県教育委員会、今帰仁村教育委員会らで話し合いを進め、県立埋蔵文化財センターへの移管を含め、適切な解決への道を探ることが望まれる。
まもなく百按司墓からの遺骨持ち出しから100年を迎える。今この時期に、関係者が話し合い、解決へ向かうことを願っている。
「無縁塚のべんべん草の下に淡い夢を見ていた骸骨」(1929年1月26日の琉球新報)は、ふるさとの沖縄に帰ることを夢見ている―。