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責任能力 真っ向対立 「良心の呵責」どう判断


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 京都アニメーション放火殺人事件の公判は23日、責任能力に関する審理が始まり、検察側と弁護側の主張が真っ向から対立した。これまで青葉真司被告(45)は「闇の人物」など妄想とみられる発言を連発する一方、放火殺人を「よからぬこと」と認め、事件直前にも「良心の呵責(かしゃく)」があったと説明。責任能力の有無や程度を巡り、裁判員は難しい判断を迫られる。
 責任能力は、善悪を区別して犯行を思いとどまる能力とされ、公判の最大の争点。この日は検察側、弁護側双方の冒頭陳述や被告を精神鑑定した医師の証人尋問が行われた。
 検察側は、被告には完全責任能力があり、あくまでも人格の偏りによる犯行だったと改めて主張。過去の裁判例を引き合いに出し、裁判員に向かって「(責任能力の認定は)法律判断であり医師が決めることではない。一般人の納得性を考えて判断すべきだ」と述べた。
 一方の弁護側は、「心神喪失者の行為は罰しない」とした刑法39条について「理性を乗り越えて犯罪を行ったら処罰するのが刑罰。善悪の区別がつかない場合、その人にはどうしようもない。この場合は無罪になる」などと解説した。
 法律に詳しくない裁判員を意識したとみられ、「起訴状に書かれていることに疑問を感じたら無罪にしなければいけない。鑑定医の話を聞いて、よく検討してほしい」などと訴えた。