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部隊逃亡の朝鮮人処刑 沖縄戦講座 強制連行、歴史学ぶ


部隊逃亡の朝鮮人処刑 沖縄戦講座 強制連行、歴史学ぶ 沖縄大学地域研究所の沖本富貴子特別研究員(右)の話に耳を傾ける参加者ら=17日、那覇市の琉球新報社
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 「沖縄戦の記憶継承プロジェクト―戦争をしない/させないために」(同プロジェクト実行委員会主催)の第2期5回目講座が17日、那覇市泉崎の琉球新報社で開かれた。沖縄大学地域研究所の沖本富貴子特別研究員が「沖縄戦の朝鮮人と平和の礎」をテーマに、沖縄戦直前、朝鮮半島から強制的に連れてこられた人が動員された「特設水上勤務隊」(水勤隊)や、地上戦の最中に起きた「朝鮮人狩り」などについて説明した。約30人が参加した。
 日本軍は、沖縄での戦闘を目的とした部隊創設のため、1944年6月17日、朝鮮半島の慶尚北道から約2800人を動員した。沖本さんによると、1週間で人員を集める指示であったことから、脅迫などにより強引に人集めが進められたとし「実態は強制的な連行だった」と指摘する。同年8月、沖縄に到着した。
 沖縄到着後、水勤隊は那覇港や宮古島の平良港などで、沖合に停泊した大型輸送船から小型船に物資を積み替える作業に動員された。
 沖縄戦直前の45年2月、水勤隊の計900人が慶良間諸島に送られた。3月26日、米軍が上陸すると渡嘉敷島と阿嘉島では部隊の約4割をしめる朝鮮人の逃亡が相次いだため、見せしめの処刑が行われている。阿嘉島では「朝鮮人狩り」があり、最低でも12人が犠牲になったという。
 沖本さんは、日本の植民地支配の歴史が正しく伝えられていないと警鐘を鳴らし、その上で、沖縄戦に動員された朝鮮半島の人々について学ぶ意義を「国の誤った施策に加担しない国民になるために重要だ。それが、戦争を食い止める力になる」と訴えた。 (玉寄光太)