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「きちんと送りたかった」 能登地震四十九日 避難先で手合わせ


「きちんと送りたかった」 能登地震四十九日 避難先で手合わせ 妻晶子さんの遺影が飾られた祭壇に向かい、長男(手前)と手を合わせる尾形哲信さん=18日午後、金沢市
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 能登半島地震は18日で49日目となった。本来なら四十九日法要に当たるこの日、石川県輪島市の輪島塗職人、尾形哲信さん(66)は避難先の金沢市で、亡くなった妻晶子さん(65)の遺影に手を合わせた。尾形さんは「もう少しきちんと送ってやりたかった。突然のことで今も実感が湧かない」と話す。
 1月1日。尾形さんは孫たちとこたつで過ごしていると揺れに襲われた。天井が落ち、家族は下敷きになった。
 約3時間後、尾形さんが救出されて外に出ると、晶子さんは道路に敷かれた布団に横たわっていた。「何で病院に連れて行かないんだ」と声を上げたが、娘に「お母さん駄目だった」と言われた。「やっと家のローンも払い終わり、これから妻の好きな韓国へ旅行に行きたいねと話していたところだったのに」
 輪島塗の作業場は自宅とともに倒壊した。仕事を再開するめどは立たず、長男が住む金沢市のアパートへ避難。輪島市に戻りたいが、このまま金沢市で別の職を探すことも考えている。
 輪島市にある先祖の墓は崩れ、菩提(ぼだい)寺とは住職との連絡も取れない状況で、法要は難しい。18日は地震後に亡くなった別の親族とともに並ぶ晶子さんの遺影に向き合った。「妻は友人が多かったが、周囲には亡くなった報告もまだ。葬式もちゃんとできなかった。いずれお別れ会を開いてあげたい」。涙が浮かんだ。