第五福竜丸、核の恐ろしさ伝え 「ビキニ事件」から70年 展示館の安田さん「今を生きる者として考えなければ」


第五福竜丸、核の恐ろしさ伝え 「ビキニ事件」から70年 展示館の安田さん「今を生きる者として考えなければ」 保存されたマグロ漁船「第五福竜丸」=東京都の第五福竜丸展示館(提供)
この記事を書いた人 Avatar photo 小波津 智也

 1954年に太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁で米国が水爆実験を行い、マグロはえ縄漁船「第五福竜丸」の乗組員などが被ばくした「ビキニ事件」から1日で70年。被ばくした漁船を保存する第五福竜丸展示館(東京)は核兵器の恐ろしさを今に伝える。学芸員で県出身の安田和也さん(71)は、ウクライナなど国際情勢の緊迫を踏まえ「抑止力という考えが依然として強いが、深刻な被害をもたらす核兵器をいつまで保持するのか」と問いただす。

 54年3月1日に実験された水爆は、広島型原爆の1千倍とされる破壊力。爆発で砕けたサンゴの粉じんが上空に巻き上がり、放射線を帯びた「死の灰」が周辺に降り積もった。爆心地から160キロ先で操業していた静岡・焼津港所属の第五福竜丸は乗員23人が被ばく、後に無線長久保山愛吉さんが亡くなった。

 米国の核実験で漁船延べ992隻が被ばくし、水揚げされた「汚染マグロ」は廃棄された。死の灰は日本でも雨となって降り、被害は拡大した。

オンラインで琉球新報のインタビューに応じる安田和也さん


 2001年から学芸員を務める安田さん。「体験者の話を直接聞く機会が減る中、記録や映像を通して追体験し戦争と平和について今を生きる者として考えなければならない。展示館があるから歴史を発信することができる」と強調する。

 事件を知らない子どもたちも来館する。「『久保山さんは3人の女の子を残して亡くなったんだよ』と伝えると、自分の親が亡くなるとどんな思いになるかと考えてくれる」と話し、来場者に自分事として考えてもらおうと試行錯誤する。

 事件70年に合わせ、SNSでは当時の日誌などの資料を基に航海の様子を再現する投稿をしている。「若い職員や大学生が自ら考え取り組んでくれている。さまざまな媒体を使い伝えていく努力が必要なのではないか」

 ビキニ事件では沖縄の漁船2隻も被ばくした可能性が高い。放射線を含む雨が沖縄に降った可能性も指摘され、未解明な点も多い。安田さんは「復帰前まで沖縄には核兵器が配備されてきたという歴史がある」と述べ、沖縄にとっても核兵器の問題は人ごとではないと指摘。「常に戦争や核について考えるのは難しいかもしれないが、節目をきっかけに考え、学ぶことが大事なのではないか」と呼び掛けた。

(小波津智也)