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もろさわようこさん死去 99歳 女性史研究家 南城市に交流拠点「沖縄は、もう体の一部」


もろさわようこさん死去 99歳 女性史研究家 南城市に交流拠点「沖縄は、もう体の一部」 沖縄への思いを語る、もろさわようこさん=2016年12月、南城市玉城
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 女性差別の歴史に関する著作などで知られる女性史研究家、もろさわようこ(本名両沢葉子=もろさわ・ようこ)さんが29日未明、間質性肺炎のため川崎市で死去した。99歳。長野県出身。
 
 2006年に結腸がんが見つかり手術、療養していた。
 独学で勉強した後、長野県の地方紙記者、紡績工場の学校教師などを経て、女性運動家の市川房枝が主催する婦人問題研究所員となり「婦人展望」の中心的な編集者として活躍した。

 日本の女性差別などを分析し、1965年「おんなの歴史」を発表。72年に初めて沖縄を訪れ、沖縄に関する新聞への寄稿などを多数発表した。生前、宮古島のウヤガン(祖神祭)の女性たちとの出会いが「もろさわ女性史の原点」と語っていた。

 94年には玉城村(現南城市)に「歴史を拓(ひら)くはじめの家うちなぁ」を開設。女性たちが自由に語り合い交流する場として勉強会などを開き、沖縄の人たちと幅広く親交を深めた。故郷の長野県佐久市や、高知市にも同様の場を開いた。

 がんの手術を受けた後も長野、高知、沖縄を行き来しながら、自身が「志縁(しえん)」と呼ぶ志を同じくする人々との交流や、執筆を続けた。

 コロナ禍を過ごした沖縄について「もう体の一部。沖縄の喜怒哀楽は私の喜怒哀楽」と話し、基地問題などを憂慮した。

 「信濃のおんな」(69年)で毎日出版文化賞受賞。古事記や万葉集などに書かれた記述から女性のありようの変遷を探る独自の史観は、70年代以降のフェミニズムや人権運動に影響を与えた。

 近年、フェミニズムの議論が活発化する中、著書の新版や論集が相次ぎ刊行され、業績の再評価も進んでいた。