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登戸研究所の 幹部名簿発見 旧陸軍、秘密戦兵器を開発


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 旧日本軍で暗殺用毒物など秘密戦の兵器を開発した第9陸軍技術研究所(登戸研究所)の幹部らの名簿が残されていることが23日、分かった。明治学院大国際平和研究所の松野誠也研究員(日本近現代史)が国立公文書館で発見した。登戸研究所が作成した資料は敗戦時に隠滅するよう陸軍中央が指示し、存在しないと考えられていた。
 松野さんは「登戸研究所の幹部クラスの全貌が初めて明らかになった。一部を除き、ほとんどの者は戦後も自分の体験を語らず、登戸研究所にいたこともよく知られていない」と指摘。研究所の実態や関係者の戦後の歩みを解明する上で重要な資料になるとみられる。
 見つかったのは、1945年8月15日時点の登戸研究所の「高等官職員表」。幹部名簿に相当し、敗戦に伴う事務処理で作成されたとみられる。所長の篠田鐐中将以下、将校クラスの氏名や階級などが記されている。ほとんどが技術将校で、軍人ではない研究者などが少数、含まれる。所属部門などは記されていない。
 川崎市にあった登戸研究所は戦況悪化で長野県などに分散疎開した。今回、疎開先に置かれた「分室」ごとの人員などを記した資料も見つかった。例えば、強力な電波を照射する兵器の研究部門が移った「北安分室」(長野県北安曇郡)には計134人が在籍していた。全体の人員は861人で、ほかに動員学徒が600人いたと記述されている。一方、疎開の事実が判明している毒物研究部門は、資料に記載がなかった。開発した猛毒の青酸ニトリルを試す人体実験を中国で行ったとの証言がある。松野さんは「戦争犯罪を追及される恐れがある部署を秘匿したのではないか」と話す。
 このほか、所長や支所長などの疎開先住所を示す資料も残されていた。