<未来に伝える沖縄戦>追い詰められて身投げ 上原正夫さん(80)下


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 《米軍の激しい攻撃を逃れ、サイパン島最北のマッピ岬に追い詰められた当時14歳の上原正夫さん(80)の家族5人は、崖から海に身を投じました。周辺でも多くの人々が「バンザイ」と叫びながら、次々と飛び降りました》

 僕らがいた場所は潮が満ちて近くまで波が寄せていた。だから、サーと波にさらわれる感じでしたよ。お母さんは全然泳げないですからね。ぶくぶくですよ。カンプーもほぐれてもうぼろぼろでしたよ。
 長女姉さんは見えなかったが、次女姉さんが僕の名を呼ぶわけ。助けようとそばに行ったら、足をつかんで離さない。沈んでいくから僕は苦しい。結局はもう一つの足で姉さんの手を蹴って、ばーっと上がった。精いっぱいでした。姉さんは見えなくなりました。

 《母と姉2人は海の中に消え、泳ぎができた上原さんと弟、友人の3人が、崖をはい上がりました》

 海から上がるとちょうど、手りゅう弾で自決しようと座り込んでいる家族がいた。僕が「お母さんも姉さんも亡くなっているから、一緒に死なしてくれないかな」と頼んだら、「この手りゅう弾ではうちの家族しか死ねない。自分たちで拾って、やりなさい」と言われた。
 近くで手りゅう弾を拾ったが、どんなにたたいても爆発しない。そこに日本兵が隠れていましてね、「爆発しないのは不発だから、また海に飛び込みなさい」と言うわけです。それでまた3人で海に飛び込んだ。結局2回、飛び込みました。

※続きは3月18日付紙面をご覧ください。