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<メディア時評・被害者氏名の公表>当事者意志の反映を 実名報道の現場にも課題


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 1月に発生したアルジェリアの人質事件で、犠牲ととなった企業の社員名を公表するかどうかで、報道界と政府・企業間で対立があった。2月に入って女子柔道暴力・パワハラ事件では、告発選手の匿名性をめぐって、意見の相違が目立ってきた。これらいわば被害者の氏名等の扱いは、古くて新しい問題だ。

 といっても、1985年の日航機御巣鷹山墜落事故の際には、企業は乗客名簿を即時公開し、報道機関は乗客乗員全員の氏名・顔写真を報道した。なかでも朝日新聞は、見開き2ページをすべて使い、搭乗の理由まで詳細に記載した特集紙面を作った。一部にはプライバシーの侵害ではとの声が出たものの、大勢は事故の悲惨さと悲しみの共有を実現した報道として評価された経緯がある。
 四半世紀経(た)ち、市民一人ひとりの人権意識が高まり、法制度上も個人情報の保護が決まり、プライバシー侵害という言葉が市民権を得るに至っている。とりわけこの間、今では一般化している「報道被害」という新語が誕生し、テレビ・雑誌・新聞といったマスメディアの取材・報道による権利侵害が大きな社会問題として取り上げられるようになった。そうしたなかで、事件・事故の被害者についても、以前は実名・顔写真はもちろんのこと、本人の周辺情報を含めての報道が当たり前だったものが、見直しが議論されるようになってきている。

■被害者報道議論と傾向

 その一つのきっかけが、97年に発生した電力会社女性社員殺害事件だ(犯人として逮捕・無期懲役となったネパール人が、2012年に再審無罪になったことは記憶に新しい)。週刊誌を中心に、当該被害者のプライバシーを根こそぎ暴く報道が続き、弁護士からの報道自制要請が出されるなど、事件とともに報道のあり方が大きな社会的関心を呼んだ。さらには、02年の北朝鮮拉致事件の被害者帰国をめぐり、取材が集中して生活の平穏が保たれないなどの問題が生じ、メディアに対する批判が高まった。
 こうした状況などを受け、政府は05年に犯罪被害者等基本計画を閣議決定した。ここで初めて、当事者の希望に従い名前を明らかにしない場合があることが正式に決まったわけだ。報道界はこうした政府の新方針に強く反発し、警察は原則として従来どおりの発表方法を踏襲するとしたが、当時の社会的空気は明らかにメディアに対し批判的であった。今回のアルジェリア事件でもネット上では圧倒的に非公表派が多い状況で(例えばヤフーニュース欄のクイックリサーチでは約7割)、この傾向は強まっているといえるだろう。

■公表可否を決めるのは

 当時もそして今も、メディアの「実名発表(報道)」の理由はほぼ同じであると理解でき、それは以下のようにまとめることが可能だ。(1)報道の原則は5W1Hを正確に伝えることで、氏名を欠かすことはできない(2)したがって実名報道が原則で、被害者もその例外ではない(3)それは国民の知る権利に応えるという使命を果たすことでもある(4)さらに報道の社会的役割として、記録性や検証性の担保があり、そのためにも実名は必要だ(5)匿名発表だと被害者やその周辺の取材が困難となり、警察や事件・事故を起こした当事者に都合の悪いことが隠される恐れがある(6)ただし発表=報道ではなく、被害者の配慮を優先に実名報道か匿名報道かは自律的に判断する(7)その結果生じる責任は正面から引き受ける--というものだ。
 この状況は、この10年でさらに変わり、05年に大阪で起きたJR西日本の脱線事故では、報道界の強い要望にもかかわらず、一部の犠牲者の氏名は公表されなかった。裁判員裁判や08年から始まった被害者参加制度(被害者本人や遺族が刑事裁判に参加して意見陳述や質問ができる制度)のなかでも、一部被害者の氏名は非公表とされ、報道段階においても匿名となっている。ただし後者の事例は、新しく拡大したのではなく、従来から行われている性犯罪被害者や、報復を受ける恐れがある場合に該当する配慮例に過ぎないとの見方もある。
 ここで問題なのは、企業や警察・検察等の行政機関が、自己都合で隠しているのか、本当に当事者の意向なのかがはっきりしない点である。一般の事件の場合、各県警の犯罪被害者支援室がメディア対応のアドバイスを行っているとされるが、最初から報道抑制ありきの対応をしている可能性が拭えない。あくまでも、政府や企業の都合に振り回されることなく、氏名の発表は当事者個人の意思が反映されるべきだ。
 だからこそ、その仲介・援助は警察ほかの行政組織ではなく、例えば英国のプレスオフィサーのような民間組織が担うべきだろう。公的機関や当該企業が実名発表するかどうかを決めるという構図自体、そもそもおかしなことであるということだ。柔道暴力事件でも、政府関係者が氏名の公表を求めたが、ここでも、お上が仕切ろうとする意識が見え隠れしている。

■日本メディアの現状

 一方でメディアの側については、遺族が正式に死亡を確認する前に実名報道することは控える、という自主ルールが海外では見られる。こうした個人の尊厳を尊重する、成熟した市民社会の制度の中で、初めて知る権利の代理人として、公的機関に対して非公開の問題性を追及することが可能であろう。日本のメディアの現状は、当事者の意向と関係なく、われ先に顔写真を入手し実名を報道することに高い価値を求める傾向が強い。報道する必然性や適切な時期を、冷静客観的に判断する余裕を、通常の事件・事故報道からもつことが求められている。
 発表と報道はイコールではないといいつつ、現実的には名前が分かったらすぐ報道をするような実態があり、理屈と現場の状況には明らかな乖離(かいり)があると思えるからだ。このままでは、実名報道原則はいわば身内の身勝手な理屈に過ぎないとの批判に対し、十分な反論ができないのではないか。
(山田健太、専修大学教授=言論法)
(第2土曜掲載)