普天間「北沢氏が非協力」 鳩山元首相、抑止力を再否定


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首相在任時、米軍普天間飛行場の県外移設を模索したことは「間違っていなかった」と話す鳩山由紀夫氏=20日夜、宜野湾市の宜野湾市民会館

 鳩山由紀夫元首相の講演会「今語る!『県外移設』の真実」(実行委員会主催)が20日夜、宜野湾市民会館で開かれた。講演後の記者会見で、ヘリコプターを搭載する船を数隻建造し、普天間のヘリを移す案などを米側に打診するよう北沢俊美防衛相(当時)に依頼したが、北沢氏が米側に伝えていなかったと明かした。

県外移設先として九州移設や、それに伴うローテーション案、グアム、テニアン移設案が上がったと述べた。鳩山氏は東アジア共同体に関する研究所を3月にも設立し、沖縄に事務所を設置する考えも明らかにした。
 鳩山氏は2009年の政権交代時に米軍普天間飛行場の返還・移設問題で「最低でも県外」を掲げたが、その後、辺野古移設に回帰したことについて「期待を裏切ったことは大変申し訳なく心からおわび申し上げる」と述べた。その上で「『最低でも県外』と主張したことは、今でも間違っていなかった」と強調した。
 首相時代、県外移設断念の理由に米軍の「抑止力」を挙げたが「海兵隊は緊急展開部隊なので、抑止力とならないが、米軍全体の存在が日本に対する攻撃の抑止力になり、海兵隊はその一部をなしているという意味だった」と述べ、海兵隊自体の「抑止力」をあらためて否定した。
 県外移設の実現を阻む官僚の動きがあり、閣僚やほとんどの民主党議員が非協力的だったことを指摘。外務、防衛両省の責任者との秘密会合が、翌朝の新聞に掲載されたとし「一度(前政権で)決めたことを蒸し返すのは迷惑だから、何とかつぶせ、と動いていた人たちがいた」と述べた。
 2008年の民主党の沖縄ビジョンを挙げ、「『最低でも県外』は党の政策だった」と強調。「多くの議員が静観してほとんど協力を得られなかったのは私自身の力のなさだ」と述べた。
 沖縄へのオスプレイ配備について「沖縄と沖縄以外の都道府県との間でギャップを感じる。差別と言うべきだ」と述べた。軍事的に沖縄の地理的優位性が主張されることについては「政府が国民に納得させる政治的手段」と断じた。
 鳩山氏の講演後、鳩山氏とジャーナリストの高野孟氏、フリーライターの屋良朝博氏が鼎談(ていだん)した。