基地被害、いつまで 宜野座村民、大会へ願い


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「命を守るためには基地撤去しかない」と話す元松田区長で村議の島袋栄さん=20日、宜野座村役場

 【宜野座】5日の米軍ヘリ墜落事故に対し、22日に村民大会を開いて抗議の声を上げる宜野座村民は日々、大会に託す思いを強くしている。これまでも米軍基地内の工事に起因する環境破壊や訓練による事故が幾度となく発生し、住民の生活を脅かしてきた。

米軍による被害の現場を知る人たちは、何年たっても変わらない現状に怒りを抱き「命を守るためには基地撤去だ」との声も上がる。安全な生活を実現したい願いは切実だ。
 1977年、米軍がキャンプ・ハンセン内にあった松田区の水源地上流で始めた戦車道建設工事により、大量の赤土が同区の水源地内に流れこんだ。家庭の蛇口からはオレンジジュースのような赤い水が出た。当時松田区長だった村議の島袋栄さん(62)は赤土がむき出しになった工事現場を振り返り「普通の工事なら考えられない、無謀なやり方だった」と話す。
 5日の米軍ヘリ墜落事故も村民の大事な水源の近くで起きた。「訓練自体に無理がある。命を守るためには基地撤去、全面返還の声を上げないといけない」ときっぱりと語った。
 89年にキャンプ・ハンセン内の宜野座村福山区で、都市型戦闘訓練施設の建設が強行された際、ゲート前の抗議行動に参加した現福山区長の比嘉徳信さん(68)。女性やお年寄りが腕を組み、工事車両を止めた現場にいた。常時20人近くが集まった当時を振り返り「米軍の説明は空砲使用だったが、発射音は同じだ。実弾を使うのではという恐怖があった」と語る。結果的に工事は強行され、施設は完成した。今回のヘリ事故と同様、抗議の声を上げても基地負担が重い現状は何年たっても変わらず「住民の声が米軍に伝わっているのか」と疑問を投げ掛けた。
(田吹遥子)