志ぃさー話芸巧みに 笑々・メンソーレ寄席


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改名後の初高座となった立川志ぃさー(中央)と共演した柳家紫文(左)、北山亭メンソーレ=4日、那覇市ぶんかテンブス館

 1日から立川志(し)ぃさーに改名したうちなー噺(はなし)家の藤木勇人ら4人が出演する「笑々・メンソーレ寄席2013」(クリエィティブアルファ、那覇市ぶんかテンブス館主催)が4日、同館で開かれた。

志ぃさーのほか、県内から落語などで活動する北山亭メンソーレ、東京から落語家の林家彦いち、音曲師の柳家紫文が出演。“四者四様”の話芸で魅せた。改名後初めて高座に上がった立川が、沖縄らしい人情話でトリを飾った。
 藤木は31歳で落語家の立川志の輔に弟子入り。21年を経て「立川志ぃさー」の名を許された。「笑々―」でトップバッターを務めたのは、志ぃさーと同じく志の輔に師事した北山亭メンソーレ。今帰仁言葉で落語「子ほめ」を披露した。古典だが、メンソーレが語るとやんばるの農村風景が浮かぶ。なまりは意識したものではなく、「今年から自然に出てきた」という。
 彦いちは遊郭が舞台の古典落語「お見立て」を披露した。こわもてとは裏腹に軽妙な話芸で引き付けた。紫文は三味線を手に、ひょうひょうとした語りで都々逸などを聞かせた。薬屋、横綱、赤鬼など登場人物を変えながら、彼らが橋で転ぶ話を何度も繰り返す。転ぶ人物によって最後のオチを変えるだけだが、毎回笑わずにはいられない。
 志ぃさーは、今井恒子の随筆「ウミンチュの娘」に着想を得た一人芝居を演じた。
 生活のためダイナマイト漁をする漁師と妻、息子の不器用な愛の物語。冒頭の「ヨイトマケの唄」はユーモラスでありながら、草の根で生きる人々のたくましさと哀愁がにじむ。
 漁師が使う火薬は、米軍の不発弾から集めたものだ。志ぃさーの話を通して、観客は沖縄の戦後を見る。昭和を生きてきた者は、自分あるいは親を重ね、目頭を押さえる。芝居は時に写真や映像を超えるリアルさを生み出す。子どもたちは体験できなかった当時の沖縄に思いをはせる。笑いと交互に込み上げる涙。志ぃさーの語る物語は沖縄の喜怒哀楽が詰まっている。
 「みんなお前から沖縄の話が聞きたいんだ。沖縄の落語をつくれ」。「立川志ぃさー」と命名した際、志の輔はこうエールを送ったという。公演後、志ぃさーは「沖縄にはまだ語らないといけない物語がある」と意気込んだ。共演した若手のメンソーレも独特の味があり、「沖縄の落語」の未来に期待を抱かせる舞台だった。
(伊佐尚記)