特定秘密保護法案 国会提出 県内からも懸念の声


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「戦前や復帰前の時代になりかねない」と特定秘密保護法制定への懸念を語る山田實さん=22日、那覇市久米の山田写真機店

 25日に特定秘密保護法案が国会に提出された。国による言論統制を経験した沖縄戦体験者らは、国民の「知る権利」が制限される可能性が高い同法案に対し、「戦前回帰の法律だ。本当のことが言えない時代に戻ってしまう」「かつて日本は、都合の悪い情報を全て隠した。再び表現の自由がない社会になる」と危機感を強めている。

一方、国の「秘密情報」を扱う側として、処罰の対象となる県警職員や現役自衛官は「特定秘密」の定義の曖昧さを指摘し、「家族も罰則対象になるのではないか」と不安の声を上げている。
 戦前の1938~40年にかけて、明治大学の学生として学生新聞の編集に携わり、政府による検閲を受けた経験がある写真家の山田實さん(95)=那覇市。当時、じわじわと強まる言論統制の動きを肌で感じていた。「特定秘密」の指定によって、政府が都合の悪い情報を隠すことにつながりかねない特定秘密保護法案に対して、「戦前のように、表現の自由がない社会にはならないでほしい」と懸念を強めた。
 学生新聞の編集に関わり始めた1年目は規制がなく、新聞の発行も自由だった。だが2、3年目になると旧文部省から指令が出され、学校側が記事の検閲をするようになった。太平洋戦争の開戦が数年後に迫る中、軍部が強い権力を持ち、文部省にも軍から将校が派遣されていた。
 芥川賞作家・石川達三氏の作品が発禁処分に。哲学者の三木清氏の家に原稿をもらい行ったが何度足を運んでも会えなかった。思想取り締まりの特高警察に追われていたからだ。戦後、三木氏が獄死したと知った。
 新聞記事も政府による検閲があり、報道の自由にも規制がかけられていた。「大本営発表は都合の悪い情報は全て隠した。国民は日本が戦争に勝っていると思っていたのに、いつの間にか敗戦していた」。政府が恣意(しい)的に情報を操作することの恐ろしさを、身をもって体験した。
 大学を卒業後、旧ソ連との戦争に参加。敗戦後はシベリア抑留を経て沖縄に戻った。復帰前の米国統治下では、シベリアに行っていたことを誰にも明かすことができなかった。「アメリカの情報機関によって、ソ連とつながりがあると疑われることが不安だった」
 「秘密保護法が制定されれば、戦前や復帰前のような時代になりかねない。記者も自由に記事を書けなくなる。僕は経験があるから怖さが分かる。悪い方向に進んでほしくない」と言葉に力を込めた。(外間愛也)