「最高の先生」長生きを 教え子らが米寿祝い


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 【沖縄】1964年から65年の風疹の大流行で生まれた“風疹児”とその親たち80人が19日、沖縄市のNBCで、ろう学校時代の恩師・仲本とみさん(88)の米寿を祝う会を開いた。

3歳から高校卒業までの15年間、彼らの教育に奔走した仲本さんは「社会で一生懸命働いている所を見てうれしい。長生きして良かった」と涙を流した。
 65年ごろ、風疹流行の影響で聴覚障がいを持って生まれた子どもは400人あまり。小学校の教員だった仲本さんは、44歳で中部地域に住む風疹児の担当となり、3歳から彼らに関わった。
 母親たちから「『ママ』の一言でも良いから声を聞きたい」との声を受け、必死に発声教育などに取り組んだ。当時は授業ができる教室もなかったため、発声練習に使う風船などの教材を担ぎ市町村を飛び回る日々だった。
 その後、沖縄市立中の町小学校敷地内の校舎に移り、現在の県立ろう学校の前身となる北城ろう学校ができた後も、高校卒業まで彼らを見守った。
 当時の教え子たちは、今年48歳。会では生徒たちが沖縄ろう太鼓やフラダンスを披露した。思い出の映像も流れるなど、なごやかに進んだ。
 仲本さんは「あの時、必ず話せるようになると誓った。がんばってくれたお母さん方や、支えてくれたほかの先生方にも感謝したい」と涙を拭いながら礼を述べた。
 3歳から仲本さんの指導を受けた佐久本綾子さん(48)の母・下里米子さん(76)は「発音指導を一生懸命してくれ、親たちを力強く励ましてくれた最高の先生。100歳まで長生きしてほしい」と話した。
 北城ろう学校野球部で、中学1年から仲本さんの指導を受けた浜元昇さん(48)は「国語と口話の指導が厳しかったが、とてもお世話になった」と感謝した。
 (大城和賀子)

仲本とみ先生の米寿を祝う会=19日、沖縄市のNBC
多くの教え子に囲まれ、米寿をお祝いされた仲本とみさん=19日、沖縄市のNBC