<未来に伝える沖縄戦>テニアン島のガマ転々 赤嶺武信さん(77)上


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テニアン島での戦争体験を語る赤嶺武信さん(左)と、伊良波中の森田さきさん(中央)と真栄田歌南さん=12日午後、豊見城市の赤嶺さん宅

 豊見城市に住む赤嶺武信さん(77)は、1937年、太平洋西部のマリアナ諸島のテニアン島で生まれました。太平洋戦争でサイパン島と同時に、テニアン島に米軍の艦砲射撃や空襲が始まった44年の6月から、赤嶺さんは弟2人、母と祖父の5人で島内の自然洞窟(ガマ)を転々として逃げ回りました。赤嶺さんは戦争で祖父や父を亡くし、自身も右腕を失う大けがをしました。壮絶な体験をした赤嶺さんに、伊良波中1年の森田さきさんと、真栄田歌南さんが話を聞きました。
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 僕の祖父は戦前の県庁で測量技師をしていて、テニアンで町をつくる計画が持ち上がった時に、区画整理のために家族みんなで移住したそうだ。父もテニアン島の製糖工場で働いていて、そこで僕が生まれた。
 43年、テニアン島にある尋常小学校へ入学したんだ。当時は市街地近くのソンソン農区に住んでいて、海で魚を釣ったりして遊んでいたよ。

※続きは3月22日付紙面をご覧ください。

→<未来に伝える沖縄戦>米兵の銃撃で右腕失う 赤嶺武信さん(77)下

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