<未来に伝える沖縄戦>米兵の銃撃で右腕失う 赤嶺武信さん(77)下


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テニアン島で米兵に銃撃され、右腕を失った壮絶な体験を語る赤嶺武信さん=12日午後、豊見城市の赤嶺さん宅

 〈テニアン島北部のハゴイのガマに避難している際、米兵に追われた2人の日本兵が迷い込んできます。ガマに潜んでいた赤嶺武信さん(77)=当時7歳、豊見城市=は、そこで米兵の銃撃に遭います〉

 米兵は日本兵たちに向かって、日本語で「出てこい、出てこい」と繰り返していたけど、日本兵が出て行かなくてね。ついには米兵が銃で撃ってきてね。

 祖父は常に自殺用の手りゅう弾を持っていて、もう少しで自殺するところだったよ。でもね、米兵の銃弾が祖父を貫通して、僕の左脚の太ももに当たったわけ。祖父はそれで亡くなって。同時に、僕の右腕にも弾が当たってしまい、そこで僕は意識を失ったね。
 気絶した後でも、弟が泣きだしたのをぼんやりと覚えてるよ。弟の泣き声が米兵に聞こえたんだろう。それで銃撃が止まったんだ。

 〈銃撃に遭った赤嶺さん一家は、ハゴイのガマから保護されます。母と弟2人は収容所へ、赤嶺さんは陸軍病院へと連れて行かれます〉

 気が付いた時、僕はアメリカの陸軍病院にいた。その時までは腕は二つあったんだけど、右腕の真ん中あたりからやられてしまっていて。腐ってうじがわいていたんだろうね、そこから切断したよ。
 左の太ももにも、祖父を貫通して僕に当たった弾が入っていたから、取り出してもらった。背中にも、小さな破片がたくさん入っていたみたいだね。

※続きは3月22日付紙面をご覧ください。

→<未来に伝える沖縄戦>テニアン島のガマ転々 赤嶺武信さん(77)上