<人事>14年度官公庁/県新部局長の顔ぶれ


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 県は1日、2014年度定期人事異動を発令する。部長級は保健医療、子ども生活福祉、商工労働の3部長と東京事務所長、会計管理者、議会事務局長が代わる。人事対象者は全体の41.8%に当たる1662人。昇任者の内訳は部長級8人、統括監級22人、課長級56人。女性の配置状況は部長級1人、統括監級4人、課長級18人。部長級・統括官級の辞令交付式は1日、県庁講堂である。

仲本朝久保健医療部長/医療体制確立を
 福祉保健部と環境生活部を再編して新設される保健医療部。その初代部長就任に当たり、「沖縄の健康長寿復活と、医師確保など医療体制の確立」を二大課題に挙げる。
 沖縄県の平均寿命は女性3位、男性30位に順位を下げた。「健康長寿への機運を盛り上げる必要がある。私自身も含め、飲酒習慣や食生活、運動不足を改善するために何ができるか、考えたい」
 企画部企画調整課長として改正沖縄振興特別措置法など「沖縄2法」の成立に関わり、一括交付金制度を創設した“功労者”の一人。「一括交付金を活用して県民の健康や医療を充実させたい」と抱負を語る。
 1959年4月8日生まれ。琉球大卒。北谷町出身。
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金城武子ども生活福祉部長/保育の質を向上
 1日に新設された「子ども生活福祉部」の初代部長に就任した。「子育て支援体制の強化を目的に部が発足した。目の前の課題である待機児童解消に全力を注ぎたい」と抱負を語る。
 1980年に入庁し、北部福祉事務所、身体障害者更生指導所、青少年児童家庭課、高齢者福祉介護課などを経験した。入庁後34年間のうち21年間は福祉保健部分野に携わり、福祉全般に精通する。
 来年始まる国の「子ども・子育て新システム」に向けて、ことしは県全体の子育て政策を考える節目の年。「沖縄の特性に応じた子育て支援体制を構築し、保育の質を向上させたい」と力を込めた。趣味は家庭菜園。琉球大卒。1958年1月2日生まれ。糸満市出身。
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下地明和商工労働部長/県内企業支援も
 1982年に入庁し、商工関係の部署に15年関わった。商工労働部は本年度以降も航空機整備基地や貨物を集積するロジスティクスセンターなど新たなインフラの整備や情報産業、那覇空港を拠点とした沖縄国際物流ハブ活用推進事業の推進など大きな事業を抱える。「沖縄の振興発展にも関わり、気が引き締まる思いだ」と力を込める。
 県外企業の誘致にも関わってきたが、「今後は県内企業が体力をつけることも重要だ」と強調。「新規に県外に物を売っていく企業などに対し何らかの支援をし、県外企業との提携を促すなど新しい支援策も展開していきたい」と意気込んだ。琉球大卒。57年11月1日生まれ。宮古島市(旧城辺町)出身。
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田端一雄東京事務所長/過去経験が強み
 2003年4月に福祉保健部の青少年・児童家庭課の主任を務め、同課班長や福祉保健企画課班長などを歴任。入庁してから、福祉保健部で長年勤務してきた。青少年・児童家庭課では、沖縄で長年課題となっている待機児童の解消対策や、母子世帯の自立支援対策など、青少年・児童や家庭関係の業務に幅広く取り組んだ。
 08年には福祉保健部福祉保健企画課事業調整官と総務部人事課副参事を兼任。09年に企画部交通政策課副参事を経て、10年4月に福祉保健部青少年・児童家庭課長に就任した。
 12年4月には総務部財政課長、13年4月に総務部財政統括監を務め、今回、東京事務所長へ転任。東京事務所は過去にも勤務経験があるのが強みだ。54歳。
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島田勉会計管理者/“和”の職場づくり
 県の会計事務や管理を担う職責を任され「コンプライアンス(法令順守)が最も求められる部署だと思う。緊張感がある」と表情を引き締める。
 1979年に入庁し、中部病院の診療報酬の計算などを担当した。その後、人事委員会事務局や農林水産部、総務部、教育管理統括監などを歴任。出納事務局は、84年から資金管理業務を担当して以来、約30年ぶりとなる。
 管理者として責任を持ち判断するが、部下の意見も積極的に聞く考えだ。「1人で仕事をしているのではない。上司、部下、同僚で理解し合う“和”を大切にしたい」と働きやすい職場づくりを意識する。
 琉球大卒。56年9月10日生まれ。沖縄市出身。
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比嘉徳和議会事務局長/より良い議会を
 入庁2年後、統計課経済分析担当から旧自治省に出向し、国家公務員として6年間働いた。選挙制度改革の中で法令解釈や制度設計に忙殺され、国会答弁の作成を担当したことも。「手書きの時代。手に汗をかくので文面が読みづらかったかもしれない」と、当時の竹下登首相がつかえながら読み上げたのを覚えている。
 県に戻ると企画畑を歩んだ。近年は21世紀ビジョンの策定に携わり、基本理念や沖縄経済の可能性などの執筆を担当。議会事務局での勤務は初めて。ビジョン実現を目指す執行部をただす県議を支える立場になる。「まずは一生懸命学び、補佐に務め、より良い議会づくりに貢献したい」。琉球大卒。1957年11月27日生まれ。那覇市出身。