沖縄市文化協会 発展へ奔走30年余 親川専務理事が退任


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30年以上、沖縄市文化協会で要職を務め、退任した親川唐白さん。手元は「琉球花三島」の茶器=3月25日、沖縄市山内の親川陶芸

 【沖縄】県内で最も長く活動する沖縄市文化協会で30年以上も要職を務め、協会の発展に尽力した陶芸家の親川唐白さん(68)=本名・正治=が3月31日に専務理事を退任した。

親川さんは「協会の活動を通していろいろな分野の人たちと触れ合い、学んだことは人生の財産となった」と感慨深く語る。自ら開発した技法「琉球花三島」の窯元として、今後は陶芸家としてさらなる活躍を誓う。
 沖縄市文化協会は1955年に県内で初めて設立された文化協会。親川さんは陶芸家として駆け出しだった80年、先輩の美術家から誘われた協会の集まりで、思いがけずに事務局長の役職を任された。
 当時の会員数は約100人。会費も払わない「幽霊会員」も多く、協会の活動も限定的だった。親川さんは「沖縄の文化を盛り上げたい」と奮起して、並み居る先輩たちにも物おじせず、協会発展に奔走した。
 これまで、書道や生け花、絵画、陶芸など部門ごとに別日程で展示会を開催していたが、93年に全部門の作品を一堂に集めた県内初の文化展「沖縄市文化祭」を手掛けた。
 全国から懸賞金付きで戯曲を公募して、大賞作品を舞台化する「沖縄市戯曲大賞」も97年に仕掛けて、県内外の作家の活動を刺激した。
 文化祭の出品者、来場者数は年々増加。協会会員数は現在約900人にまで増え、会員が活躍する場を広げている。
 親川さんは、2010年の裏千家の鵬雲斎千玄室大宗匠による茶会で茶器が使われるなど陶芸家としても活躍する。
 親川さんは「これからは陶芸に専念する。琉球花三島の技法を極め、後世の評価に堪える作品を作りたい」と意気込む。(宮城征彦)