きょう対馬丸「小桜の塔」建立60年 こいのぼり掲揚再現


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建立から60年を迎える「小桜の塔」でこいのぼりを掲揚する対馬丸記念館の宮城清志館長と外間邦子さん(後列右)、慶田盛さつき学芸員ら=那覇市若狭

 今年建立60年を迎える対馬丸の学童慰霊碑「小桜の塔」(那覇市若狭)で5日に合わせて、こいのぼりを掲げる。対馬丸記念館の学芸員慶田盛さつきさん(34)は「60年前の除幕式でも、こいのぼりが舞っていたと資料にあった。当時の様子を再現し、来年以降も続けていきたい」と話した。

 「小桜の塔」は愛知県旧丹陽町(現在の一宮市)の「すずしろ子供会」の河合桂会長が、戦争で亡くなった子どもたちの慰霊碑を作ろうと、愛知県民に寄付を呼び掛け、建立。1954年5月5日に除幕式が行われた。
 「小桜の塔」は当初、沖縄戦で亡くなった全ての子どもたちの慰霊碑として建立されたが、対馬丸の遺族が大勢集まり、遺族会結成のきっかけとなった。それが今年設立10年を迎える「対馬丸記念館」設立につながっている。
 護国寺の当時の住職、名幸芳章さんが河合さんと縁あって知り合い、護国寺の境内に塔が建立された。その後59年、対馬丸犠牲者の慰霊碑として境内に隣接する現在の場所に移転した。
 対馬丸で2人の姉を亡くした外間邦子さん(75)は「愛知県とのつながりはあまり知られていない」と強調。「昨年愛知で対馬丸の展示会があり、現地に行った時、建立時に設置された弔歌を作詞した山崎敏夫さんの娘さんに偶然出会った。お墓参りもし、お礼ができて良かった。対馬丸の子どもたちに導かれたような思いだった」と語った。
 山崎さんが作詞した弔歌は、毎年対馬丸が沈没した8月22日の慰霊祭で市内の小学生らでつくる「つしま丸児童合唱団」が歌い、今も受け継がれている。
 当時の愛知県出身の元厚生労働大臣や県知事が「小桜の塔」「情日新」という題字を揮毫(きごう)しており、全県で寄付に取り組んだことがうかがえる。
 外間さんは「船に乗った子どもたちが果たせなかった5月5日のお祝いを、こいのぼりを揚げることで今の子どもたちと一緒に祝い、平和の思いを伝えたい」と語った。
(知花亜美)