「犠牲、二度と出さぬ」 宮森小事故55年


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犠牲者18人の名前が刻まれた「仲よし地蔵」に涙を流しながら手を合わせる慰霊祭参列者=30日午前10時18分、うるま市石川の宮森小学校(花城太撮影)

 【うるま】1959年6月30日に米軍嘉手納基地を飛び立った米軍ジェット戦闘機が当時の石川市(現うるま市)の宮森小学校に墜落した事故から55年の30日、同校で事故の犠牲になった児童や住民ら犠牲者18人を追悼する慰霊祭(遺族会、NPO法人石川・宮森630会主催)が開かれた。

遺族や当時の在校生、地域の住民ら約90人が犠牲者の冥福を祈った。18人の名前が刻まれた「仲よし地蔵」には花や千羽鶴が手向けられ、慰霊祭の参列者は米軍機が墜落した午前10時40分ごろに黙とうした。慰霊祭の前には、宮森小学校(高良京子校長)の児童会主催の追悼集会も行われた。
 慰霊祭では、「石川・宮森630会」の豊濱光輝会長が戦後14年に起きた事故について「沖縄戦を生き延びた人たちの子どもたちが犠牲になった」と強調し、事故を「決して忘れてはいけない」と訴えた。慰霊祭はこれまで石川・宮森630会が開催してきたが、遺族会との共催は初めて。
 児童会主催の追悼集会では6年生の児童が「私たちは誓います。二度とこのような恐ろしい事故を起こしてはならない」と詩を朗読。遺族会を代表し、当時3年生だった弟・芳武君を亡くした上間義盛遺族会副会長が「児童会の追悼集会は22回目だ。遺族として感謝している」と、平和を継承する子どもたちの取り組みに礼を述べた。