小禄不発弾爆発 一時重体の女児、主治医と再会


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40年ぶりの再会を抱き合って喜ぶ、一時意識不明になった女性と主治医だった大仲良一さん=3日午後、那覇市与儀の沖縄セントラル病院

 「こんなに大きくなって。40年間、ずっと心配していましたよ」。頬を紅潮させ声を詰まらせながら再会を喜ぶ医師と、何度も涙を拭う女性。2人は顔を合わせた直後に、固く抱き合った。

1974年3月2日、那覇市小禄の聖マタイ幼稚園近くで発生した不発弾の爆発事故。事故に巻き込まれ、意識不明の重体に陥った当時3歳の那覇市の女性(43)が、主治医だった沖縄セントラル病院理事長の大仲良一さん(79)に40年ぶりに再会した。大仲さんは「あの子は今、どうしているのかなといつも思っていた」と話し、女性は「本当に、本当にありがとうございました」と繰り返した。
 爆発事故時、聖マタイ幼稚園ではひな祭りのお遊戯会が開かれていた。女性は入園前だったが、兄が園児だったため母親に連れて来られていた。園庭のブランコで遊んでいた時にすぐ近くで爆発が起き、吹き飛ばされた土砂で一時生き埋めになり意識を失った。
 近くの外科に搬送されたが、大仲さんが半年前に開業したばかりの沖縄中央脳神経外科(当時)にすぐに転院することになった。大仲さんは「意識不明で、『近くの病院ではどうしようもない』と連れて来られた」と振り返った。爆風で頭を強く打ったとみられ、激しいけいれんがあり、予断を許さない状況だった。
 脳圧が上がり、絶対安静。大仲さんは治療を尽くし、両親、看護師が必死に看病した。開業する前まで大仲さんは聖マタイ幼稚園の近くに住んでおり、同園に通っていた次女が転園したばかりだった。「治療しながら、自分の娘のように思っていた」と話す。
 2日ほどたって意識を取り戻し、約1週間後に退院した。女性は今、本島内の病院で看護師として働き、高齢者の療養病棟を担当している。大仲さんは「立派に成長したことがうれしく、医者冥利(みょうり)に尽きる。同じ医療業界で働いていることにも不思議な縁を感じる」と喜んだ。
 女性は大仲さんから当時の状況を聞きながら、涙を拭い「お会いできて感無量です。助けていただき、本当に感謝しています」と何度も頭を下げた。別れ際に握手をすると、両手でずっと大仲さんの手を握り続けていた。(安田衛)