「朝鮮人戦犯、補償を」 李さん来県、きょうシンポ出席


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記者会見し、戦犯として一時、死刑判決を受けた経緯などを紹介する李鶴来さん=25日午後、県庁

 植民地下の朝鮮から捕虜監視員として動員され、戦犯として一時、死刑判決を受けた李鶴来さん(89)=東京都=がシンポジウム出席のために来県し、25日に県庁で記者会見した。

 李さんは「戦後も日本で厳しい生活を余儀なくされたが、日本人ではないとして援護や補償の対象にならなかった。政府は責任を果たしてほしい」と訴えた。
 李さんによると、1942年6月、地元の村長から呼び出され、捕虜監視員として日本軍の指揮下に入るよう指示された。戦闘訓練を受けた後、タイの収容所に配属。泰緬鉄道建設の重労働を課されていた捕虜の多くが伝染病の流行もあり死亡した。
 李さんは敗戦後、捕虜から告訴され死刑判決を受けた。後に懲役20年に減刑され、51年にシンガポールから巣鴨刑務所に移送。56年に釈放された。
 2008年、韓国・朝鮮人と台湾人の元BC級戦犯に給付金を支払う法案が議員立法で衆議院に提出されたが、審議されずに廃案になった。李さんは「速やかに立法し、亡くなった友人たちのためにも名誉回復してほしい」と話した。
 李さんは55年、米軍が伊江島で強制的に土地を奪っていることを知り、獄中から住民に支援物資を送った。たばこや石けんなど余った配給品などを集めたという。26日には、伊江島の住民とも交流する予定。シンポジウムは同日午後1時半から、沖縄大学同窓会館ホールで行う。