県内被爆者減、187人に 体験継承に不安


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県内被爆者

 69年前に広島・長崎で被爆し被爆者健康手帳を所持する県内在住者が、2014年3月末時点で200人を切り、187人となったことが4日、県のまとめで分かった。最も多かった1991年3月末の388人から半数以下になった。

ことし4月から7月末までの4カ月間でさらに10人が亡くなり、県内の被爆者や関係者からは「被爆体験の継承に不安を感じる」という懸念の声が上がっている。
 原爆は1945年8月6日に広島、同月9日に長崎に、米軍によって投下された。厚生労働省によると、14年3月末で、全国の被爆者は19万2719人(平均年齢79歳)。広島県内に8万7620人、長崎県内に5万269人が在住している。
 沖縄県内の被爆者187人(平均年齢82歳)のうち、121人が長崎、66人が広島で被爆した。5歳ごとの年齢区分では85~89歳が77人で最も多い。被爆者数は47都道府県別で14番目に少なく、近畿地方以西では最少。11年度以降は毎年13~16人が亡くなっている。
 県原爆被爆者協議会(県被爆協)の比嘉幸子副理事長(82)は「被爆者の減少、高齢化による体力の低下、記憶力の衰えなど、全ての面で不安を感じる」と語る。県被爆協書記で社会福祉士の大山広美さん(53)も「介護が必要になるなど、体験の語り部が減っている」と話している。
 沖縄は戦後27年間、米国の統治下にあったため被爆者援護が大幅に遅れ、初めて被爆者の実態調査が行われたのは1963年だった。県被爆協の前身、沖縄原子爆弾被害者連盟(被爆連)は64年に結成され、ことしは創設50周年に当たる。
 本土では57年に原爆医療法が施行され、被爆者の健康診断と原爆の放射能に起因する病気の治療費が国費負担されるようになったが、県内被爆者には適用されなかった。そのため、65年に日本政府を相手に医療費を請求する違憲訴訟が提起され、本土復帰まで継続した。(安田衛)