台湾2・28事件 県内遺族の補償認めずと回答


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父恵先さんが台湾2・28事件で犠牲になった青山恵昭さん=5日、浦添市内間

 1947年に台湾で推計2万人以上の死者を出した「2・28事件」に巻き込まれた県出身犠牲者の遺族が求めていた補償について、台湾内政部は5日までに外国人犠牲者を補償する法律がないことを理由に補償を認めないと文書で回答した。

遺族は不服申し立てをする予定。被害認定については直接言及していないものの、申請受付窓口の財団法人「二二八事件記念基金会」が、補償について政府の審査を求めたことから、関係者は「(補償の前提となる)被害については認定された」としている。
 2・28事件には、少なくとも4人の県出身者が巻き込まれたとみられる。
 補償を求めていたのは、青山恵昭さん(71)=浦添市。青山さんの父恵先さんは日本敗戦後に鹿児島から台湾に母子を迎えに行ったが、事件に巻き込まれて行方不明になった。青山さんは2013年に基金会に被害認定と賠償を申請した。
 審査をした基金会の議事録などによると、日本植民地時代に日本兵として出兵し犠牲になった台湾人や慰安婦への戦後補償がされていないことなども、恵先さんへの補償ができない理由に挙げている。青山さんは「台湾政府には世界人権宣言の精神に立って解決してほしい」と望んだ。
 「台湾228事件真実を求める沖縄の会」顧問を務める又吉盛清沖縄大学客員教授は「沖縄側の申し立てを真剣に受け止め、調査も積極的にしてきた台湾の良心には遺族も大変感謝している。補償が認められなかったのは、東アジアへの戦後処理との関わりが深い」と話した。

<用語>2・28事件
 1947年2月28日、台湾台北市での警官の発砲事件をきっかけに、台湾全土で本省人(台湾在住の人々)による国民党政府や外省人(日本敗戦後に中国大陸から台湾に渡ってきた人々)への抵抗運動が広がった。これに対し国民党政府は武力による大規模な弾圧を行い、推計2万人以上の死者が出たとされるが実数は明らかではない。47年当時、多くの県出身者が引き揚げることなく台湾にとどまったり、八重山と台湾間を行き来したりしていたことから、事件に巻き込まれた。