サリン事件の交信記録発見 警視庁、緊迫のやりとり


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警視庁に残されていた、警視庁と現場の警察官との無線交信を記録した音声テープ

 13人が死亡、6千人以上が重軽症となった地下鉄サリン事件が発生した1995年3月20日朝の、警視庁と現場の警察官との無線交信を記録した音声テープが残っていたことが14日、同庁への取材で分かった。約70分の途中には「爆発物によるゲリラ事件」とされるなど混乱も。化学兵器による未曽有のテロ事件に立ち向かった緊迫した様子が浮かび上がった。

 「日比谷線の八丁堀駅。病人2名、気持ち悪くなったものが2名いるそうです。詳細、判然としません」。午前8時21分、警視庁通信指令本部に入った急病人の発生の一報でテープは始まる。
 地下鉄の駅などから報告が相次ぐ。「歩道上に何人も倒れております」。「人工呼吸中。救急隊の話によると危ない状況」。被害は拡大するばかりで、現場からの声にも荒い息づかいが交じるように。
 実行犯となったオウム真理教幹部らは、猛毒のサリンを袋に入れて新聞紙で包み、穴を開けて電車内に放置した。だが「爆発物を使用したゲリラ事件が発生した」との誤った見立てが現場に伝えられるなど混乱も。
 「新聞紙に入った液体、これが落ち、ガスが出てきた」。負傷者の聴取に当たっていた警察官が、毒ガス使用をうかがわせる情報をもたらしたのは、一報から約20分後だった。
 乗客が袋を車外に蹴り出したとの情報も伝えられる。現場からは「目が見えない、苦しがっている人がいる」と、サリンの影響で瞳が小さくなる「縮瞳」とみられる症状も報告された。
 救助活動中、多くの警察官が現場で倒れ込んだため「防毒マスク等を使用するなど、二次災害防止の徹底を図られたい」と、繰り返し注意が呼び掛けられていた。
 警視庁によると、交信記録は原則として、1年間の保存期間を終えると処分されるが、このテープは偶然、通信指令本部の保管庫に残され、昨年見つかったという。
(共同通信)