引きこもり「周囲が諦めず信じて」 当事者、克服体験語る


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障がい者をサポートしながら、共に作業を進める男性=12日、那覇市内

 学校に行かず就業もしていない15~34歳の若者は「若年無業者(ニート)」と呼ばれている。労働力調査によると、県内は2014年平均で1万5千人に上り、4年前と比べ6千人増加した。

人口比率は4・6%で全国平均2・1%を大きく上回る深刻な状態だ。中には地域や社会から孤立し、時に家族とさえコミュニケーションを図れない「引きこもり」になっている人もいる。引きこもりを経験した当事者と、21、22日に那覇市内で開かれる全国集会を誘致した支援者に話を聞いた。
 「やり直したいけど緊張して人と話ができない。テレビをただ眺めるだけの生活。何も考えないよう暮らしていた」。那覇市内で福祉事業所の代表を務める男性(44)は、31歳から5年間の「引きこもり」経験を苦しそうに振り返った。
 小中学校時代はどちらかといえば「仕切る」タイプで、学級委員を務めるなど周囲から頼られる面もあった。高校のころ、友人から「言い過ぎじゃないか」と指摘され、徐々に自分の気持ちが出せなくなり、人間関係が苦手になった。
 卒業後、受験の失敗や浪人の不安感、彼女との別れが重なり「自己嫌悪と自己否定」の感情にさいなまれ、友達と会えなくなった。気持ちを切り替えようと21歳で上京。看護助手などで生計を立てたが人間関係の苦手意識は拭えない。25歳で帰沖した後も安定した職に就けず、人間関係にも悩み転職を繰り返した。
 「挫折したまま生きたくない。変えるには進学しかない」。再挑戦を始めた26歳、アルバイトとして働くドラッグストアで準社員に登用され、店舗を任された。期待に応えようと必死で働いたが「名ばかり管理職」の状態で、午前9時から深夜0時まで働き詰めに。29歳で「適応障害と軽度のうつ」と診断された。
 同じころ、母親が脳梗塞で亡くなった。「自分が殺したようなものだ」。自分を責め続けた。約半年後、「もう家族に迷惑を掛けたくない」と強く決意し、再び働き始めた。が、そこでも午前8時半から深夜まで働かざるを得なかった。心身共に疲れ果て、家にこもり始めた。31歳だった。
 「もう社会に戻れないのでは」。社会への恐怖と自身への失望、人生への諦め―。5年間の暗闇を抜け出すきっかけは、口論の末に出た父の言葉だった。「今はそんな状況だけど信じている」「ちょっとずつでもいいから前に進めばいい。この経験があったから、今の自分があると思えるようになるといいな」
 心が動き始めた。県外での断食修行や季節労働を経て障がい者ヘルパーなどの資格を取得。39歳で障がい者を支援する福祉事業所でボランティアを経験した。「彼らが輝いて見えた」。障がい者が生き生き働く姿に衝撃を受けた。数日後、同事務所で働き始め、41歳で代表を任された。
 「毎日が充実している。彼らが自分を受け入れてくれたから、今がある」
 男性は昨年、当事者や家族を支援する活動を始めた。「年齢が高くなるほど『社会に戻るすべがないのでは』と不安になる。でも、親や周囲が諦めずに信じてあげてほしい。それが必ず支えになる」と願いを込めた。