高宮廣衞さん死去 沖縄考古学の基礎築く 87歳


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遺跡の発掘調査を通じて先史時代の編年を確立するなど沖縄考古学の基礎を築いた高宮廣衞(たかみや・ひろえ)さんが20日午前1時24分、急性呼吸不全のため浦添市の病院で死去した。87歳。那覇市出身。

 高宮氏は米カリフォルニア大学で人類学を専攻。帰郷後、考古学の研究に取り組んだ。主要遺跡の発掘によって貝塚分布と先史時代編年を確立し、沖縄考古学の発展に寄与した。1969年に沖縄大学教授に就任、70年から71年まで同大学長を務めた。73年に沖縄国際大学教授となり、84年から88年まで同大学理事長兼学長を務めた。
 沖縄考古学発展の功績をたたえ93年に第10回東恩納寛惇賞(琉球新報社主催)を受賞した。著書に「沖縄歴史地図-考古・歴史編」「古代の沖縄」などがある。
 沖縄考古学会元会長の嵩元政秀さんは「何度もお見舞いにいった。とても残念だ」と高宮氏を悼んだ。現会長の當眞嗣一さんは「高宮先生は緻密な研究によって沖縄考古学の基礎を築いた。長く病床にあったが私の心の支えだった。訃報に接し残念でならない」と語った。
 沖縄国際大の高宮ゼミ1期生で沖国大教授の上原静さんは「研究業績をたくさん残されただけでなく、多くの弟子を育てた。今や県や市町村、博物館、資料館などで多くの弟子が活躍している。その意味で地域社会にも貢献した」と高宮氏の功績を振り返った。