中国、三山時代から琉球重視 使者派遣し王印与える 新史料から判明


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 福建師範大学の中琉関係研究所(謝必震所長)はこのほど、琉球王国時代に中国からの冊封使らが琉球との交流の様子や情景などを鮮明に記録した文集や漢詩など200件に及ぶ大量の新史料を発見した。琉球が三つの国に分かれていた三山時代の1385年に明の皇帝が北山王と南山王に王印を与えた件で、皇帝の命を受けた使者が琉球を訪れ、両王に王印を直接渡していたことが新史料で初めて判明した。琉球・中国関係史に詳しい琉球大学の赤嶺守教授は「航海の危険があっても直接使者を送ったのは中国皇帝が琉球を重視していた証拠だ。交流初期の三山時代から重視していたことが分かった」と話している。

 中国と琉球は約500年間、中国皇帝が琉球の国王を承認する冊封関係にあった。冊封には中国国内で従属国の使者に皇帝の勅書や王印を授ける「領封(りょうふう)」と、使者を直接従属国に送る「頒封(はんぷう)」があり、重視する国には後者を実施していた。
 新史料で、中国の使者・蔡英夫が1385年に琉球の使者2人と一緒に、中国・福建から琉球へ出発したことが分かった。中山王は3年前の82年に王印が与えられており、事実上の冊封関係がこの時期に始まった。赤嶺教授は「中国は日本を意識して安全保障の観点から三山時代からその後も一貫して琉球を重視していた」との見方を示した。
 冊封使の派遣船や進貢船には豚などの生き物を載せていたことや、中国の冊封使ら文官が琉球の景勝地を詩にして高い関心を示していたことも新史料から明らかになった。
 琉球への航海の危険に不安を抱く冊封使の心情も吐露されている。琉球側との交流の様子を詳細に詩で記録しており、その場面や心情を知ることができる。
 史料は、福建師範大学の中琉関係研究チームが約10年かけて同大学図書館に所蔵されている中国の明・清時代の史料約3千件の中から琉球関係の約200件を見つけ出した。その後「琉球文献史料彙集」と題する2冊の書籍にまとめた。明代編の史料は89件、718ページ、清代編は119件、725ページ。沖縄美ら島財団の補助を得て、県内の図書館や関係研究所、関係する研究者らに配布される予定。
 琉球大学国際沖縄研究所の招きで来沖した謝所長は「漢詩などから誰がどんな思いでどのような関係を築いたかが非常に鮮明に分かる」と強調。赤嶺教授は「中国と琉球間の人の動きや現場の状況を知る上でこれを上回る物はない、第1級の史料だ」と評価した。(新垣毅)

明皇帝の使者・蔡英夫が、琉球を訪れ、北山・南山の両王に王印を渡したことを記した文集