有料

沖縄とニューカレドニアの友好(上)/県系アイデンティティー発見/訪問団が交流を促進


沖縄とニューカレドニアの友好(上)/県系アイデンティティー発見/訪問団が交流を促進 第5次訪問団の到着を待つニューカレドニアの県系人
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 2006年8月、三木健氏が県系人の調査を目的にニューカレドニアを訪れた。同時期に津田睦美氏の日系人写真展がヌメアで開催されていた。ニューカレドニア市民として暮らしていた日系人が初めて脚光を浴びた。自らのアイデンティティーを求めて、家族の写真の前に誇らしく立つ日系人家族たちの姿が会場で見られた。日系人の歴史に興味を持った人々も会場に押し寄せた。
 沖縄ニューカレドニア友好協会は、その年に設立された。翌年には沖縄日系人会が立ち上げられた。そして、沖縄友好協会の第1次訪問団が派遣された。その後も交流は順調に続き、17年には第4次訪問団がニューカレドニアを訪れた。世界のウチナーンチュ大会の開催年には、ニューカレドニアから訪問団を結成して沖縄へ行くという交流が続いた。個人的に沖縄を訪問する県系人も友好協会が温かく迎え、親族調査の依頼があれば受け入れている。
 親族との出会いはアイデンティティーを見つけることでもあった。県系人としての誇りが生まれ、家族への思いが一気に埋まった。自分の立ち位置が明確になり、新しい生きがいができることもあった。
 両国の交流が進む中で世界をコロナ禍が襲い、日本との行き来も途絶えた。1世や2世など交流の基礎を築いた年長者も少なくなり、残された県系人ができることは何かと考えるようになった。ニューカレドニア沖縄日系人会は次世代の県系人に託され、「宝」である日系人会を存続させることを決意した。23年3月には新しいメンバーが引き継いだ。
 沖縄では22年に世界のウチナーンチュ大会が開催された。ニューカレドニアでは日本への渡航規制があり参加が危ぶまれたが、有志が沖縄の地を踏んだ。これをきっかけに交流の再開が期待され、23年に沖縄からの第5次訪問団の実施が発表された。日系人会で、一族でできる限りのおもてなしをしようと、みんなの思いは同じだった。
(山田由美子ニューカレドニア通信員)