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「ようやく沖縄から代表が」「プロとの出会いが転機」野澤の五輪代表選出、県内関係者も期待


「ようやく沖縄から代表が」「プロとの出会いが転機」野澤の五輪代表選出、県内関係者も期待 サッカー日本代表に選出された野澤大志ブランドン=2023年1月、かいぎんフィールド国頭(大城三太撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 野澤は中学時代、FC琉球U―15でプレーした。監督として2、3年の頃に指導した小寺一生さん(40)=FC琉球U―18監督=は、野澤の印象を「発言はしっかりしていたが、人見知りだった。中学2年で身長が180センチを超え、成長期でもあり体のバランスが悪かったり、鈍かったりする部分があった。ボールをこぼしてキャッチはぼろぼろだった」と印象を語る。

 大きく変わったのは現役プロGKの存在が大きかった。小寺さんは「野澤が中2で指を骨折した時期に、当時琉球でプレーしていた朴一圭(パク・イルギュ、現J1・サガン鳥栖)選手がアカデミーで指導をしてくれて、そこから中3にかけて大きく成長した」と振り返る。

 県内初のJリーガーでGKとして活躍した石川研さん(54)=FC琉球高等学院サッカー部監督=は「長かったけど、ようやく県出身GKの代表選手が出た。指導者や先輩、いろんな人から影響を受け、成長して一人前になれる。子どもたちの憧れの存在として、次の世代に多くのことを伝えられる選手になってほしい」と期待を込めた。

 野澤が小学生時代に所属していた長田ドラゴンFCの当時の監督、川畑功一さん(71)=宜野湾市=は「『世界で活躍したい』という言葉に力強さを感じていた。有言実行だ」と声を弾ませた。「GKとしてチーム全体を動かす存在になってほしい」と、五輪での活躍に期待した。

 県サッカー協会の玉城吉貴会長(65)は「沖縄の子どもたちの夢につながる。1968年のメキシコ大会銅メダルが最高成績なので、それ以上を目指してほしい」と活躍を願った。

(大城三太、渡真利優人)