AA(アルコホーリクス・アノニマス) ひーろー/自助グループと仲間に救われる


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 幼少期から自分に違和感があり、人との付き合い方が分からず、いろいろな自分を試した。小学生の時は人に合わせて行動し、中学生の時は高圧的な態度と暴力で同級生を支配する自分を演じており、自分のことを「頭のおかしな人間」だと思っていた。
 育った環境はいわゆる「機能不全家族」。母の再婚相手は酒に酔うと暴力を振るうため、母と幼い私と姉は警察署やラブホテルで寝泊まりすることもあった。心身だけでなく、性的な暴力を受けていた私は成長すると、母と姉に暴力を振るった。外ではおとなしく、家では暴力的だった。
 ある日、母とけんかした時、頭に血がのぼって母を殴り、ライターで髪の毛に火をつけてしまった。母はバケツの水を頭からかぶり、事なきを得た。それを機に家庭内暴力は止まったが「怒ると人を殺してしまう」と思うようになった。
 そんな自分を抑え、外ではおとなしく過ごしていたが、周囲から気持ち悪がられ、避けられた。それが嫌で高圧的な態度で周りを支配すると、近くに人はいるようにはなった。でも、社会ではそんな態度でいられず、おとなしい自分に戻るしかなかった。
 そんな時、酒を飲んで人付き合いをすると楽に過ごせるようになった。酔った状態での人間関係は当初、楽しく過ごせていたが、病気(依存症)が深くなると人を避け、社会から逃げるように引きこもり、身も心もボロボロになっていった。
 入退院後にAAにつながった。対人関係に恐れがあったので本当の自分を語ることなく過ごしていたが、自助グループの仲間の中では真実を語っても大丈夫だと教えてもらい、実行できた。
 過去の出来事を話すと、怖がられたり、嫌われたりするのではないかとすごく怖かったが、仲間は何も変わらず温かく接してくれた。
 物心ついてから初めて「しらふで正直な人間関係」だった。仲間からは「過去の行動は防御反応だったのでは」と教えてもらったことで、大きな肩の荷が降り、以前ほど自分への負い目がなくなり生きやすくなった。
 今は依存症の回復施設で働き、回復の道を歩み続けている。自助グループと仲間の愛に救われた。