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キッシンジャー氏死去 元国務長官 米中接近、沖縄密約 100歳


キッシンジャー氏死去 元国務長官 米中接近、沖縄密約 100歳 キッシンジャー元米国務長官(ロイター=共同)
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 【ワシントン共同=武井徹】米中国交正常化やベトナム和平など冷戦時代の国際政治史に大きな足跡を残した米国のヘンリー・キッシンジャー元国務長官が29日、東部コネティカット州の自宅で死去した。100歳だった。1971年の中国極秘訪問は世界を驚かせ、ニクソン大統領による72年の歴史的訪中につながった。ベトナム戦争の和平交渉をまとめ、73年にノーベル平和賞を受賞した。

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 ニクソン政権で大統領補佐官として72年の沖縄返還交渉に携わり、有事に米軍が沖縄に核を再び持ち込むといった密約の米側交渉担当者を務めた。

 ニクソン、フォード両共和党政権で国家安全保障問題担当の大統領補佐官や国務長官を務めた。今年7月にも中国を訪れ、習近平国家主席と会談するなど晩年まで精力的に活動した。キッシンジャー氏が創設したコンサルティング会社によると、家族葬を営み、ニューヨークで追悼式を催す。死因は明らかにされていない。

 23年、ドイツでユダヤ系ドイツ人の家系に生まれた。38年、ナチスの迫害を逃れ、家族と渡米。ハーバード大や同大学院で学んだ。

 国際政治学者、軍事戦略家としても世界的に有名で、多くの論文や著書を残した。著書「核兵器と外交政策」で核による大量報復戦略を批判、限定戦争論を提唱し注目を浴びた。

 ニクソン氏に請われて69年に政権入り。71年7月、国交がなかった中国を同盟国の日本にも知らせずに訪れて周恩来首相と会談。79年の米中国交正常化に道を開いた。保守派の反共主義者として知られたが、中国接近によって中国とソ連の関係をけん制し、東側とのデタント(緊張緩和)を推進した。

 73年9月に国務長官兼務となり、石油危機の引き金となった翌10月の第4次中東戦争後、当事国を往復する「シャトル外交」を展開した。