3歳の女児1人を含む作業員ら計4人が死亡し、34人が重軽傷を負った1974年の聖マタイ幼稚園不発弾爆発事故から2日で50年を迎える。1日には、豊見城市の同園で園児102人と関係者らが「平和を祈る日」として、犠牲者に祈りをささげ、事故の記憶を継承していくことを誓った。 (23面に関連)
事故は当時、那覇市小禄にあった聖マタイ幼稚園そばの下水道工事現場で、重機が基礎工事用の鉄杭を打つ中、日本軍が使用した機雷に触れ爆発した。
吹き上がった土砂で人が生き埋めになり、吹き飛んだ重機や鉄杭が車両や民家を直撃し、多くの家屋や車両が破壊されるなど不発弾爆発事故として日本復帰後最大の被害を出した。事故当日は、ひな祭りに合わせたお遊戯会が開かれており、園児や保護者ら約400人が集まっていた。
聖マタイ幼稚園元園長の高良孝太郎司祭は「平和を実現する人々は、幸いである」という聖句を読み上げ、「戦争がなかったら50年前の悲しい事故は起きなかった。平和を実現するには、事故を忘れず、周りの友だちが喜ぶことを心掛けよう」と呼びかけた。
幼稚園は89年に豊見城市に移転し、跡地には現在、小禄病院が建っている。敷地内には2019年に慰霊碑が建立された。また、15年には現在のマタイ幼稚園内に「不発弾爆発事故記念碑」が建立され、毎年「平和を祈る日」を実施している。 (吉田健一)
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悲劇 語り継ぐ 聖マタイ幼稚園不発弾爆発50年
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琉球新報朝刊