昔のデートスポットも! 地図にない「地名」 あなたはいくつ知っている?


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地方部記者が担当地域のイチオシを紹介する「J(地元)☆1グランプリ」。今回紹介するのは「地域で通じる呼称」です。公的に地図記載などされる正式名称ではないものの、人々に呼ばれて親しまれ、定着した呼称が皆さんの地域でもありませんか。その呼称には沖縄の歴史も詰まっていることでしょう。県内各地の呼称を一部紹介します。

アップルタウン ★ 名護市辺野古

県道13号沿いに立つ看板が目印の辺野古社交街「アップルタウン」=名護市辺野古

横文字並ぶ社交街

WELCOME 辺野古社交街―。県道13号の起点、名護市辺野古の入り口に立つ看板が訪れる人々を迎え入れる。住民から「アップルタウン」と親しまれている社交街だ。

1957年、丘陵地だった現社交街の宅地造成事業が始まった。当時、重機を貸し出すなど、事業に協力した米国民政府土地課長・アップル中佐の名前にちなんで「アップルタウン」と呼ばれるようになった。辺野古商工会の許田正儀会長によると、アップルタウンの厳密な境界線などはなく「住民が『上部落』と呼ぶ地域周辺をそう呼んでいる」と言う。

街内を歩くと、イタリアにワシントン、ハワイ、テキサス…。横文字の看板が立ち並ぶ。ベトナム戦争時には隣接する米軍キャンプ・シュワブの米兵らでにぎわいを見せていた。

「お客さんが親しみを感じられるよう、店の名前も国や地域の名前をつけていた。基地の街ならではだよ」と許田会長。最盛期には地域一帯に飲食店など約200店が軒を連ねた。辺野古区の古波蔵太区長は「30~40歳の世代は、呼びやすさから『アップル町』と呼んでいる」とも。地域に根付いた呼称の背景には、辺野古の社交街誕生の歴史があった。

(吉田早希)

宜野湾中古車街道 ★ 宜野湾市国道330号沿い

国道330号沿いに車が所狭しと展示される宜野湾中古車街道=3日、宜野湾市赤道

県民の「足」支える

宜野湾市を通る国道330号沿いに軒を連ねる中古車店を、誰もが一度は見たことがあるだろう。一帯は「宜野湾中古車街道」と呼ばれ、車社会における県民に“足”を提供し続けている。約40年前の夜、街道沿いに並んだ中古車がライトアップされ、若者が「宜野湾に車を見に行こう」と相手を誘うデートスポットでもあった。

県内各地に中古車街道と呼ばれる場所はあるが、関係者によると宜野湾中古車街道が「一番古く店も多い」。街道の範囲は定かでないが、野嵩付近の国道330号から我如古で県道34号に曲がり、真栄原十字路付近までとされる。

赤道の街道で創業して48年となる長浜モーター会長の長浜宗栄さん(80)らによると、「街道」と呼ばれたのは1972年の本土復帰ごろ。道路がまっすぐで車が見やすく、空き地が多く店が入りやすかったとされる。周辺にある大学の学生のほか、本島各地や離島からも客が訪れた。

県中古自動車販売商工組合の資料などによると、復帰後は本土から自由に良質な中古車が県内に入り、街道はにぎにぎしくなった。通り会が結成され、共同宣伝などで知名度が向上。しかし現在は新車を買う人が増え、車を展示しなくても客はインターネットの情報を見て来るようになった。

最盛期より店は減り通り会もなくなったが、長浜さんは「通りの店はライバルで仲間でもある。ここに店を持っていられるのは誇りだ」と胸を張る。沖縄の車の歴史と共に街道ではきょうも車が展示されている。

(金良孝矢)

0番地 ★ 糸満市糸満

「横町0番地」跡に続く道路で当時を振り返る玉城正実さん。一帯が無断で埋め立てられたという=3日、糸満市糸満

隠れた埋め立ての歴史

糸満市糸満には「0(ゼロ)番地」と呼ばれる不思議な場所がある。

市教育委員会生涯学習課課長の加島由美子さんは「『0番地』は戦後、個人が無断で埋め立てた『無願埋立』」と説明する。小さな飲み屋が何件も入った建物があり「番地がないから『0番地』と呼んでいた」と言う。誰が埋め立て、名付けたのか分からない。1970年の住宅地図には「横町0番地」と記され「上海」「ロマン」など6件が並ぶ。

加島さんによると糸満海人は、海の近くが便利と昔から個人で埋め立てた。「埋め立ては字糸満の歴史そのもの。野山を切り開いて家を建てるように海を切り開いた」と話す。

市糸満出身の金城亀次郎さん(84)は、20歳ごろに「0番地」一帯が埋め立てられた記憶がある。「昔は海だったが、糸満は土地がなく、金持ちがお金を出し合って埋め立てた」という。「横町0番地」に続く通りには、出店もあったそうだ。

前端区自治会長の玉城正実さん(69)は「『0番地』を知らない若い人が多くなっている」と話す。

横町は取り壊され道路になってしまったが、「0番地」は糸満の隠れた戦後史として人々の記憶にしっかり刻まれている。

(豊浜由紀子)

十八番街 ★ 石垣市石垣

かつての十八番街の姿を語る與儀和子さん。夜になると、独特な雰囲気の街になる=5日、石垣市石垣

長い歴史と新たな魅力

石垣市石垣にある通称「十八番街」は、かつて八重山随一の繁華街として栄えた。戦前・戦中を通じて、数多くの料亭が集まったというこの地域。その名前の由来は諸説あるようだが、戦前からあった「十八番」という料亭が基ではないかとされる。

十八番街にほど近い桃林寺付近で生まれ育ったという與儀和子さん(79)は「小中学生の時、映画館や風呂屋とかもあって連れ立って遊びにきた。単なる大人のまちではなかったよ」と振り返る。結婚式など、晴れの日に使われる場所でもあった。

與儀さんが夫の実家のあった十八番街に住み始めるようになったのは50年ほど前。料亭や割烹のほか、いろいろな店が並び、まだまだにぎわいは残っていたという。

だが、埋め立て地として新たな歓楽街「美崎町」が生まれたこともあり、街の姿は変わる。「美崎町で飲んだ人が深夜に流れてきた。そしてその酔った人たちでけんかも絶えなかった」。必然的に、にぎわいは消えていった。

そんな十八番街だが、近年はレトロでディープな雰囲気にひかれたのか、個性的な飲食店などが少しずつ増え、新たな魅力を生み出している。

與儀さんは「やっぱり静かになった時はさみしかった。最近はおしゃれな店もできてきて、とてもうれしい」と笑顔で話した。

(大嶺雅俊)


地域の思い凝縮

正式名称よりも通称で親しまれている地域や道路などは、県内外の各地にあります。有名な例では「羽田空港」も、正式名は東京国際空港です。新たにできた道路の愛称を公募したり、施設のネーミングライツを売り出したりする自治体も多くあります。

整備に尽力した人名を冠する道路など、名付けられた経緯がはっきりした通称がある一方、経緯が判然とせず「いつの間にか呼ばれていた」という通称も。そんな自然発生的な名前の方が、地域の実態を表している場合もあります。地名や道路の通称には、地域の歴史やそこで暮らしてきた人々の思いがたくさん詰まっています。

(尋)

(2019年12月8日 琉球新報掲載)