見晴らし圧巻!知る人ぞ知る「グスク」


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地方部記者が担当地域のイチオシを紹介する「J(地元)☆1グランプリ」。2020年最初のテーマは「知る人ぞ知るグスク」です。今年は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が世界遺産に登録されて20周年。この機会に実は身近なところにもあるグスクに目を向けてみませんか。県内各地の知る人ぞ知るグスクの一部を紹介します。

名護城 ★ 名護市

ヒカンザクラについて説明する名護さくらの会の儀保充会長=6日、名護城公園

山を彩る桜並木

名護市中心地の外れにある名護城(なんぐすく)公園は周辺も含めて約1万本のヒカンザクラが咲き誇る名所として名高い。1~2月に名護岳の山腹をピンクや白などに染める様子は、名護市民から愛され続けている。

名護城は14世紀に周辺を統治していた名護按司の居城とされる。名護城の桜は1928年に城区青年団の発意で50本あまりが植えられたのが起源とされる。25、26日に開かれる名護さくら祭りは58回を数える。

公園南口からは山腹の神社に向かって、長い石段が設けられている。両脇を彩る桜並木を、東江区の背後に広がる名護湾の眺望とともに楽しめる。名護さくらの会の儀保充会長は「名護城や桜、テッポウユリは市のシンボルだ」と強調する。

取材に訪れた6日、並木ではちらほらと白やピンクの花を付けた木も出てきていた。例年、1月下旬のさくら祭り開会時は八分咲きほどまで開花が進むという。「日本の春は名護から始まる。(同じく桜の名所がある)本部町や今帰仁村とともに盛り上げていければ」と儀保会長は決意していた。

(塚崎昇平)

安慶名城跡 ★ うるま市

うるま市の安慶名城跡。古堅宗久さんが案内してくれた=2019年12月25日、うるま市安慶名

珍しい「輪郭式」

うるま市にある国指定史跡の安慶名城跡。伊波城を築城した伊波按司の子・安慶名按司が14世紀ごろ、築いたと伝えられている。麓から見上げると、自然の琉球石灰岩でできた断崖と急斜面を利用した城壁が亀の甲羅のように盛り上がり、そそり立つ岩が亀の首に見える。そのため、辺り一帯は亀甲原(べっこうばる)と呼ばれることもある。

城の北側を流れる天願川(大川)の名にちなみ、大川城ともいう。元教員で、史跡や歌碑巡りをしている古堅宗久さん(83)は、城の形状について「外郭と主郭がある輪郭式で造られている。県内でも珍しい」と話す。安慶名闘牛場に隣接しており、標高約40メートルの主郭からは、伊波城跡がある市石川方面まで見渡せる。

城内では中国の青磁器などが見つかっている。古堅さんは「普段市民はあまり訪れないが、国指定史跡で重要なグスクだ」と語る。

うるま市といえばユネスコの世界遺産に登録されている勝連城跡が有名だが、安慶名城跡のようなグスクに足を運んでみるのも楽しい。輪郭式のグスクにはなかなかお目にかかれない。

(砂川博範)

クニンドー遺跡(仲間グスク) ★ 南風原町

後方の小高い丘が「クニンドー遺跡(仲間グスク)」(南風原文化センター提供)

謎多き土の城

南風原町には本島中南部では珍しい「土のグスク」とみられる遺跡がある。地元では「クニンドー毛(もう)」とも呼ばれている、高津嘉山から南へ連なる丘とその周辺にある「クニンドー遺跡(仲間グスク)」のことだ。

クニンドー遺跡で人が活動していた時期は大きく三つの時期に分けることができる。このうち、「仲間グスク」として利用していたとされるのが、2番目の時期にあたる約650~550年前だ。

発掘調査の結果、この時期には石積みの代わりに大きな空堀(堀切)や柵で防御を固めた「土のグスク」が存在したとみられる。遺跡周辺からはグスク時代の土器や中国製の青磁、タイ産の焼き物や備前焼など数多くの出土品が採取されている。

南風原文化センター学芸員の保久盛陽さん(29)は「出土品から、ある程度身分の高い人がいたことが考えられる。グスクがあった可能性は高い」と指摘する。

これまで「クニンドー遺跡(仲間グスク)」の発掘調査は道路開発などの際に限定的に行われたのみで、全容は謎に包まれたままだ。だが保久盛さんは「発掘調査は遺跡そのものを損なう場合がある。遺跡の保存のためには、安易に触らない方が一番いい」と話す。謎は謎のまま後世に残し、町にそびえる丘にどんな歴史が潜んでいるのか、思いをはせながら眺めてみてはいかがだろうか。

(嶋岡すみれ)

高腰城跡 ★ 宮古島市

石灰岩による石積みがわずかに残る高腰城跡内の御獄=6日、宮古島市城辺

鳥の声と風の音

宮古島の東海岸側にある比嘉集落北の小高い丘の上に位置する「高腰(たかうす)城跡」。県指定の史跡で、大きさは東西約70メートル、南北約40メートルで、敷地内のいくつかの場所には石灰岩を積んだ城壁の跡がわずかに残っている。城内唯一の御獄がある開けた場所では鳥の声と風の音だけが耳にとどき、眼下に広がる島の風景を見ながら、時の流れに思いをはせたくなる。

市教育委員会の久貝弥嗣主任主事によると、そもそも宮古島には「グスク」と呼ばれる遺跡は存在せず、「城跡」という言葉も18世紀以降の古文書の中で記されたものだという。一方で、標高が100メートル前後の丘陵地に立地していることや、石積みがあることから「グスクと全く同じ役割と断定はできないが、防御的な機能があったと考えられる」とも話す。宮古島や石垣島の城跡からは、本島ではあまり出ない中国産の焼き物の出土品があるのも特徴的だという。

宮古旧記などによると、城主は城辺方面を支配していた豪勇・高腰按司であったとされている。発掘調査の結果から、高腰城は13世紀後半~15世紀前半に最盛期を迎えていたとされ、地元産の土器を中心に中国産の青磁・白磁陶器や古銭の他、玉、鉄製の矢尻なども出土している。

所在地は宮古島市城辺比嘉。宮古空港から車で約25分で、自由に見学することができる。

(真栄城潤一)


先人の精神 思いはせ

首里城が焼失して2カ月が過ぎました。振り返れば首里城は政治の拠点だった一方で、文化芸能を育んだ場所でもありました。建物の損失だけでなく、県民の財産ともいえる多くの収蔵品も失われました。それだけに喪失感も大きい。

今回のJ1は、首里城のほかにもある各地域のグスクを見詰めてみました。
琉球王国のグスク及び関連遺産群」がユネスコの世界遺産に登録されて20年。琉球グスクは、本土の城に比べて、およそ200年早く石垣化を達成し、階層構造を実現した先進性があるとの研究成果もあります。進取の精神に富んだ先人に思いをはせてみたいと実感しました。

(学)

(2020年1月12日 琉球新報掲載)