アワビとヒラメを陸上養殖 北大東村 仲宗根 革さんの挑戦 【となりの人となり】


社会
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毎年の台風に悩まされている北大東島で、新しい可能性として取り組みが進められているアワビとヒラメの陸上養殖。
自ら現場に立つ施設長の仲宗根革さんにお話を伺います。

(聞き手・石田奈月)

仲宗根革さん 撮影・屋比久光史

海水プールが養殖場に変身

北大東小中学校にまだ淡水のプールがなかった時代、水泳の授業は島の西側にある「海水プール」で行われていました。海水淡水化施設がくみ上げる海水のうち、一部を流用して水槽にためるシンプルなものでしたが、10年ほど前に学校内にプールが整備され、その役目を終えました。

もう人が泳ぐこともないこのプールがどうなったかというと、現在アワビとヒラメの陸上養殖施設に生まれ変わっているのです。

「これは1年ほど育てたアワビの稚貝です。もう少し大きくなったら出荷できますよ」

4センチほどのアワビが張り付いた板を手に説明してくれたのは、施設長の仲宗根革(あらた)さん。出身は与那原町ですが、2年前に北大東島に移住し、養殖に取り組んでいます。

長さ25m、幅13mのプールの手前半分を活用して養殖池にしている

新しいことに挑戦できるチャンスだった。

台風の影響を受けない産業を興そうと、村の主導で陸上養殖の調査研究が始まったのが2011年のこと。15年度にこの施設が完成した時、養殖の道筋をつけたメンバーの1人が革さんの姉・信乃(しの)さんだったそうです。

「姉が結婚して本土に行くことになったので、僕が跡を継いだんです。40歳で新しいことに挑戦できる機会ってなかなかないですから」

それまで那覇市の飲食業界で働いていた革さんですが、心機一転、この北大東島で陸上養殖という未経験の仕事にチャレンジすることになりました。

仲宗根革
なかそね・あらた

与那原町出身。飲食業界で働いていたが、前任の姉・信乃さんの意思を引き継ぐ形で陸上養殖施設の施設長に就任。専門家のアドバイスを受けながらアワビとヒラメの養殖を推し進め、昨年2月にはアワビの人工ふ化に成功した。

アワビのふ化に成功

養殖施設で使われる海水は、近くの淡水化施設がくみ上げたものを分けてもらって使用しています。この海水の質も養殖を左右する重要な要素です。

「北大東の海水は雑菌が少ないという利点がありますが、水中の酸素量も少ないので、酸素発生器を入れています。島の水に合った養殖方法を見つけるのが大変でしたね」

養殖しているアワビはおよそ2年で6センチほどに成長し、県内の大手スーパーなどに出荷されます。それよりも小さなものは加工品に利用されるとのこと。

「他のアワビと比べてとても大きく成長する個体もあります。僕らは『エリートアワビ』と呼んでいますが、これを掛け合わせて良質なアワビを安定的につくれないか試しているところです」

アワビ養殖は軌道に乗り始めたところですが、中でも一番の成果は昨年2月、アワビのふ化に成功したことです。

「雄と雌のアワビから精子と卵子を取り、人工授精させることができました。今は県外から稚貝を購入して育てていますが、いずれは100%北大東産のアワビが出荷できるようになります」

ふ化したアワビはまだ指先ほどの大きさですが、卵から育てられた生粋の島産アワビです。成長すれば商品化はもちろんのこと、この貝を親貝にして次の世代を作り、稚貝として販売することもできるようになります。大きな可能性を秘めた小さな貝は、今も水槽ですくすくと成長しています。

昨年2月、初めて人工ふ化に成功したアワビの稚貝。すくすく成長中

島の未来を見据えて

このプールで成長したヒラメ。40cmを超えたら出荷時期

アワビと並んでこの養殖場で育てられているのがヒラメです。革さんが施設長に就任した時はまだ試験段階だったそうで、今では年間1000匹を出荷できるようになっています。

「島の海水淡水化施設でくみ上げる海水の温度は年間を通じて一定なので、これが大きな強みですね。ヒラメは寒いとあまり餌を食べないのですが、ここではよく食べるので、そのぶん成長も早いんです」

一般的にヒラメの稚魚は出荷できるサイズになるまで15カ月かかるそうですが、ここでは13〜14カ月でそのサイズに達するとのこと。量産に向けて課題はあるものの、こちらも島の新たな特産品として順調に発展しています。

「施設の駐車場があるスペースにも水槽を置きたいんです。そうすればヒラメの数ももっと増やせますから。4月以降は今よりも海水を使えるようになる予定なので、養殖場を広げるプランを考えているところです」
 

いつかは島の若者たちの事業に

沖縄本島から遠く離れ、台風など自然の影響を大きく受ける北大東島にとって、陸上養殖施設は未来への大きな希望です。その発展を担う革さんは、これからの展望について次のように語ってくれました。

「僕はこの島に骨を埋める気持ちで来ていますが、いつかは島の若い人たちに、自分たちの事業として取り組んでほしいと思っています。それまで10年か20年か、僕も若者たちと一緒に成長していきたいですね」
 

(新報生活マガジンうない 2020年1-2月より転載)