第一線プレイヤーは本名で裏方を担当、一番楽しい仕事は映画監督!?<ひーぷーさん>◇沖縄芸人ナビFILE.32

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今回はテレビやラジオでおなじみの「ひーぷー」さんに登場いただきます! 芸人のイメージがない方もいるかもしれませんが、お笑いコンビ「ダーティビューティ」がひーぷーさんの芸能活動の始まり。最近経験した映画監督は人生で一番楽しかったそうで、初監督作品『闘牛女子。』は今月開催の沖縄国際映画祭での上映を控えています。これまでのキャリアから番組・劇団への思い、そして映画制作まで。「何でも話すよ」とナビゲーターの「初恋クロマニヨン・松田正(まつだ・しょう)」さんの質問に、にこやかに答えていました。

(執筆:フリーライター・饒波貴子)




「沖縄芸人ナビ」は「週刊レキオ」(毎週木曜発行)と連動中。毎月第3週のレキオに関連記事を掲載していますのでご覧ください。




ひーぷーさん(オリジン・コーポレーション所属(左)/ http://origin-oze.com)とナビ芸人の松田正さん(よしもとエンタテインメント沖縄所属 / http://yoshimoto-entertainment-okinawa.jp/)。映画監督デビューを果たした2人は「初監督あるあるを一緒に話したい!」と盛り上がっていました。


ライブ運営、教えてくれたのはFEC



松田ナビ:お笑いを始めたきっかけから聞きたいのですが、僕は「お笑いやりたい」と真剣に思っていた高校生の頃、入り口が分からずにいたんです。そしたら近所の店で「ダーティビューティ 真栄平仁」という名刺を見付けうれしくて、店の人にお願いしてもらって帰りました。今から20年くらい前のことです。

ひーぷー:高校生の時からお笑いやりたいと思っていたとは、すごいね! 僕は前原高校で、当時は面白い人が一番偉いみたいな風潮だったよ。中学校まではツッパっていても高校に行ったら笑わさ〜になる流れがあって、学園祭で面白いことやろうぜ〜みたいな感じだった。生徒会長のヨシモトくんが一番笑わさ〜で、彼を筆頭に各クラスに数人メンバーがいて催し物があったらみんなで何かやる。その集まりを「ヨシモト軍団」って言っていたんだけど(笑)、僕も相方の金城幹雄もメンバーだったわけ。そして卒業する時は「いつかお笑いやろうな〜」って話していたけど、進路がバラバラ。久しぶりの再会が25歳で、地元の祭りにバンドで出演しようぜ〜って呼ばれた時だった。相方がドラムで僕がベース担当だったんだけど、集まりが悪くて2人で練習してもメロディーがないから面白くなくて(笑)。「俺ネタ書いてきたけど、2人で漫才の練習やらんか〜」と誘い、バンド練習の合間に漫才を始めました。その後ボーカルの女の子の結婚式の二次会で、「バンド演奏終わった後、最後に漫才やって!」ってお願いされたわけ。そこが相方と初めてのネタ披露。場所はヒューマンステージです。その時のMCがオリジン・コーポレーションの現会長です。



松田ナビ:会長との出会い、聞いたことがあります。まだオリジンという事務所がない頃ですよね?

ひーぷー:全然ない! 会長は新郎の友達で酔っ払いながらMCをやっていたんだけど、僕らの漫才を面白いと思って声をかけてくれた。会場でもウケていたしね。

松田ナビ:一緒にオリジンを立ち上げたんですか?

ひーぷー:会長は当時モデル事務所にいて、そこの社長に話してくれて「芸人も入れてみよう」ってなったみたい。それでバンドの練習中にちょくちょく来てくれたんだけど、無視していたわけよ。「ワッター(僕たち)は部屋着姿で夜中に具志川公民館で練習している田舎者なのに、あの人はダブルスーツ姿で那覇から来るから怪しい人だ。絶対騙される」と思っていた。だけどいろいろと声をかけてくれるし、「素人お笑い選手権」という沖縄で初めてのお笑いコンテストがあったから受けてみようってなったのよ。「O-1グランプリ」の前身で、結果が良ければ芸能活動を考えましょうと話していたら優勝したんですよね。実は笑築過激団さんやFECさんからもお誘い的な話もあったんだけど、当時とんがっていた僕らは「ワッターが一番面白い!」という気持ちで、自分たちでやろうと決め会長と僕と相方との3人で活動を始めました。最初の一年はモデル事務所のお笑い部門だったけど、切り離して1994年にオリジンを作ったんですよ。

松田ナビ:それからはスカウトなどで、芸人さんをどんどん増やしていったんですか?

ひーぷー:「素人お笑い選手権」で面白いと思った「マスターベーコンズ」をスカウトしに行きました。2人はまだ高校生で、下校時間を待ってつかまえて「ライブやるんだけど出ないか〜」って誘いました。「出ます」と言ってくれたから、2人を入れて最初のライブをやったな〜。

松田ナビ:マスターベーコンズさん、めちゃくちゃ面白かったですよね。ライブではネタみたいなことをやったりしたんですか?

ひーぷー:「喜笑転決」と名付けたライブで漫才やコントをやったんだけど、先輩のFECさんは既に定期ライブをやっていたから、創設者の山城達樹さんにはいろいろ教わりました。本当にお世話になったんです。



松田ナビ:当時は横のつながりがあったんですね。

ひーぷー:俺なんかは後発だから、「なにくそ!」と負けたくない変な気持ちがあったんだけど、達樹は全くそんな感じはなかった。独学で始めたライブだったから行き詰まってしまい、正直に疑問を伝えてみたら、親切に詳しく教えてくれました。オリジンの「喜笑転決」を今も続けられるのは、彼のおかげだと思っています。

松田ナビ:お笑いの手応えはどんな感じでしたか?

ひーぷー:全然なかったね(笑)。何の予定もなくて、スケジュールが本当に真っ白。自分たちで名刺を作り、放送局や出版社などを回ってネタを見てもらったよ。そしたら唯一プロ野球のナイターがオフの時期、ラジオ沖縄さんのラジオカーに乗りレポーターをさせてもらえるようになりました。アポなしで人の家に行って夕ごはんのおかずをもらう「突撃夕ごはん」という番組。相当怒られたけどそのまま電波に乗せていて、楽しい時代でした(笑)。ラジオ沖縄の偉い方に「あの番組は面白かった」と今でも言われます。

松田ナビ:初仕事はレポーターでラジオから広まっていったんですね。

ひーぷー:ずっとラジオカーだったから、スタジオでしゃべるのが当時の俺と相方の夢。でも仕事はそれくらいで、他はアルバイトしていました。

親に土下座し芸能活動を継続



松田ナビ:レポーターから始まってパーソナリティーに。ラジオ沖縄の「ティーサージ・パラダイス!」はどんな感じでスタートしましたか?

ひーぷー:「みーかー」こと玉城美香さんが第一子出産時の2004年、「チャットステーション」のピンチヒッターを曜日ごとに探していて僕を推してくれた。みーかーは芸歴が同期で、ラジオカーや特番に出ていた僕たちを面白いと思ってくれていたんだよね。「全県的な番組でしゃべるって、デージ(とても)大変なったやっさ〜」と緊張しつつ、毎日一生懸命やりました。数カ月経ってみーかーが復帰しピンチヒッターは終了したんだけど、お昼に番組をやらないかと声をかけていただきました。「もちろんやります!」と返事をしたことで「ティーサージ」が2005年に始まり、今に至ります。何も考えずに「やります」って答えたけど、お昼の12時は沖縄方言の長寿番組だったから、誰か分からんヤツがしゃべるようになり相当苦情が来たのではないかと思う。ラジオのゴールデンタイムといわれる時間帯というのも後で知って、ちょっとビビったよ。全然知らなくて、仕事ないからやりますよと言っただけなんだけど。


ラジオ沖縄(ROK)「ティーサージ・パラダイス!」放送中のスタジオにて

松田ナビ:ひーぷーさんのラジオを聴くと独自の間合いでしゃべっていると思うのですが、やりながら身に付けたんでしょうか? 

ひーぷー:最近だよ。しゃべり始めた時はしに(すごく)早く強めの言葉を選んで、デージしゃべっていた!攻めていこうっていう気持ちがやっぱりあって。でも10年くらいしたら毎日マイクの前で気持ちを上げるのがキツくなり、ちょっとずつテンションを落としていった。急にやったら元気がないと思われるから、だんだん楽にしゃべるようにしたよ。しゃべり始めた頃は音声さんに「声でかすぎ」と言われたけど、今じゃ逆(笑)。

松田ナビ:徐々に時間をかけて今のトーンに落ち着いてきたってことですね(笑)。

ひーぷー:そう。間が空くのが怖くて全部埋めていたけど、黙っていた方が相手は想像するな~と今は思う。冷静に演出せずに毎日しゃべる中でなるべく楽に、という事で今の形になっています。

松田ナビ:意識的に肩の力を抜いてニュートラルにしているんですね。2008年からは沖縄テレビさんで「ひーぷー☆ホップ」も始まりました。ず〜っとやっていますけど長くやる秘訣はあるんですか?

ひーぷー:仕事が仕事を生む事かな。「ティーサージ」に接している人からの紹介でケーブルテレビの「あまくま歩人(アッチャー)」を始めたんだけど、ラジオの言いたい放題のイメージが変わったみたいでバランスが取れていると認めてくれて、「ひーぷー☆ホップ」に抜てきしてもらえました。また、マメに連絡を取ったり飲みに行ったりはしないけど、スタッフの異動が決まったらプレゼントをしたり、一本締めで手締めをしたり、押し付けがましくないサラッとしたチームワークを心掛けています。

あとはディレクター陣が年下になって良い事も悪い事も僕に言いづらくなるはずだから、なるべく口を出さない。絶対スベると思うアイデアを出されても、「一応やるか〜」って感じにする。それに面白い事を言おうとは思わず、ゲストに面白い事を言ってもらうために根回しをする。ラジオでもテレビでもメッセージを送ってくれる人を面白くさせるというか。読む技術も必要だろうし何かを足してさらに大きくするとか、足りない場合はツッコんでみるとか・・・炎をどうやって燃やすのかという意識が長続きの理由かもしれない。


沖縄テレビ(OTV)「ひーぷー☆ホップ」出演時のオフショット

松田ナビ:なるほどですね〜。僕自身一人で笑いを取るのではなく、アシストするタイプという感覚でいました。ひーぷーさんほど理解はしていませんが、それでいいんだなと思えました。

ひーぷー:前に出てスベッて誰かのツッコミが入って笑いを取る人もいれば、何も考えずにポロっと出た一言が面白い人もいるし、いろんなタイプがあるからね。僕やしょうは周りを見て足りないところに気付くタイプ。いろんな人がいるから成り立っているわけで、そういうポジションは大事。MC役の時は、みなさんに楽しんでもらえるようにしっかり回していくと心掛けています。

松田ナビ:「ひーぷー☆ホップ」含め長年一緒にやっている「こきざみインディアン」さん。どういう存在ですか?

ひーぷー:最初に会ったのは事務所のオーディション。「どうせ素人だしな〜」と思いながら高校生だった2人の漫才を見たんだけど、衝撃だった! 本当に笑ってしまって、くった〜(こいつら)デージ面白いと思ったよ。それからずっと面白いとしか思っていない。ちょっと田舎の荒れた地域のしゃべり方というか、自分と近いところがあるんだよな〜。

松田ナビ:ひーぷーさんもこきざみさんも、自分の言葉でしゃべっていると思えます。やりたくてできるわけではなく才能の一つでしょうが、自然にできるものですか(笑)!?

ひーぷー:僕が芸人を始めた頃、テレビでFECのファニーズさんが那覇の言葉で漫才をやっているのを見て「こんな言葉使うかや〜、絶対に地元の具志川の言葉を使おう」という気持ちでネタを作っていた。その延長線上でラジオでも、地元の友達としゃべっているように話したいな〜と思っている。でも僕の同級生たちは「絶対お前より俺が面白い。俺をラジオに出せ」って言うやつばかり(笑)。くった~が番組聞いて「那覇の人みたいにしゃべっている」と冷やかされるのは嫌だな〜と思いしゃべり方を意識して、地元の同級生が聞いても面白いと言われることを目指しました。

松田ナビ:その空気感分かります。昔はやんちゃなタイプだったりしましたか(笑)?

ひーぷー:いや。だけど時代なのか、ファッションとかみんなどこかしら薄くヤンキー。どヤンキーではないけれど、当時流行ったレベルの悪さは僕もしていたかな(笑)。

松田ナビ:劇団O.Z.E(オゼ)を立ち上げた流れを教えてください。

ひーぷー:25歳の頃芸能の道を進むと決め、「30歳までさせてくれ」と親に土下座した(笑)。大学に行かせてもらっていたし、売れなかったら辞めるので5年間させてくれと話して理解してもらったよ。でもコンビ時代は全然仕事がなくて、ずっとバイト生活。挙げ句の果てに相方に「俺結婚したみたいやっさ〜」って事後報告され、「こんな貧乏で、何で結婚できるば〜」と思いながら一年くらい経ったら、「俺、子どもできたみたいやっさ〜」と言われ、その一年後くらいに子どもが一人増えた。相方と嫁、ヨチヨチ歩きの子と赤ちゃん。4人の姿を見た時に「解散しよう!」と伝えたよ。

相方は稼ぐために仕事をしてもらって、僕と会長はどうするか考えた。お笑いは相方以外とやりたくないし、自分が一般の仕事をするイメージは全く湧かない。それならネタをずっと書いてきた流れで、人を感動させる脚本を書いてみるのはどうかと思った。「次は演劇だ」と会長と話し、O.Z.Eを立ち上げました。親にはまた土下座して「35歳までお願いします」って頼んだわけ。そしたらちょうど35歳の時にみーかーのピンチヒッターの話が来てギリギリセーフ! この世界で食べていけるようになって一番喜んでいるのは、親かもしれません。



松田ナビ:「これだ!」という節目が続いているんですね。演劇は知識ゼロから始めた状態でしたか?

ひーぷー:知識ない! 演劇見に行って「全然面白くね〜、俺だったら絶対面白いのできる」って言って立ち上げました。お笑い始めた時と同じパターン(笑)。

松田ナビ:エネルギーとしてはいいですよね。めちゃくちゃ勉強したんじゃないですか?

ひーぷー:そういうところでしかエネルギーが出てこないタイプなんだろうね。でも始めたら壁にぶち当たり、「どうしよう〜」と言っていろんな人を頼って少しずつ仲良くなっていく。台本の書き方も分からず試行錯誤だったな〜。最初の劇団員はお笑いメンバーから引き抜いた。お笑いメインではなく何かやりたいという子もいたし、女の子もいたからね。最初の頃は車に小道具も大道具も乗せて、コンベンションセンター近くの駐車場で稽古した。当時は難しい内容の演劇が多かったので、分かりやすくて笑えるコメディー劇を作りました。

松田ナビ:20年以上エンターテインメントの世界にいて、現状はどう見えますか? 

ひーぷー:僕らの時代と比べるのは良くないだろうけど、今はデビューしたばかりの若手芸人でも仕事がある。ギャラは少額でも祭りのMCとか、コロナ前はちょこちょこあったんだよね。僕らは全くなかったから良い状況だと思う。芸人や役者をやりながら、少しずつお金がもらえるようになってきたな〜と見ています。その反面芸人や役者人口は増えているから、やっとできてきた小さな市場を取り合っている現実があるよね。もっと市場を大きくして、一個ずつの単価をどうやったら上げられるかと考えている。それは先輩の僕らが、どれだけ金額交渉できるのかにかかっているかもしれないね。ちょっとずつ上向きになり頑張って、芸人やりながら家庭を持ったり、持ち家を建てる人が、何人も出てきたらいいな〜と思っています。

目標は劇団員と映画制作



松田ナビ:『闘牛少女。』という作品で映画初監督をされましたね。感想を教えてください。

ひーぷー:めっちゃ楽しかった! 「生まれて一番楽しかった」とスタッフ全員に伝えました。制作期間は5日間くらいで、早朝に現場に入って疲れているはずなのに眠くなくて変な注射打ったかなって思うくらい(笑)。何かが高速回転している感覚で毎日楽しかった。

松田ナビ:脚本書きや演出は、演劇と同じでしたか?

ひーぷー:裏方の制作過程が舞台と全然違うと思った。監督って何やるんか〜みたいな。初日は「よーいスタートって言うの? みんな何て言ってるの?」って助監督に聞いて撮り始めたけど(笑)、超楽しかった。


初監督映画『闘牛女子。』制作関係者で記念撮影

松田ナビ::映画監督は難しいという印象しかありませんが、苦労なく進められましたか?

ひーぷー:結構ビビりなところもあるから、プレッシャーで緊張するんだろうなと思っていたわけ。もちろん少しは緊張したけれど、それよりも現場での考える過程がめっちゃ楽しかった。例えば「カメラはこっちに置きましょう、いやあっち側から撮る方がいい?」とか考えて、プロのみなさんのアドバイスが加わるんだけど、そういうやり取りがとにかく楽しかった。よく考えたら俺、お笑いも劇団も立ち上げた時は誰からも何も習っていないのよ。自分でやって失敗を繰り返してきたから、教えてくれる人がいるのは初めて。一緒に考えて「これいいね!」ってなる瞬間が超楽しかったし、プロってすごいという気持ちになりました。

松田ナビ:映画制作は初ですし、手探り状態でずっとやってきたひーぷーさんですもんね。

ひーぷー:人から習えばいいんだけど、自分が面白いと思える道を進んできたから仕方ない。今はそういう気持ちをあまり表に出さなくなったし、「面白くない」と他人を怒るよりも自分は次に何をやるのか考えた方がプラスになると思っている。

松田ナビ:最近は事務所の後輩たちにも「これ違うんじゃない」みたいな事は言わないんですか?

ひーぷー:最初から言っていないよ。昔から口を出すべきではないと思っていた。個人的にはこの芸人のネタが面白いなどの感想はあるけれど、昔の話をしたり、あんなやれこんなやれっては絶対言わんこうって決めていた。お客さんにウケようがスベろうが、一生懸命考えて稽古して舞台に立つ芸人が一番偉い。だから意見する事はあまりないな〜。面白いと思った時は感想を伝えるようにはしている。

松田ナビ:押し付けがましくしないように、という筋を一本通しているんですね! でもポジションを築いているひーぷーさんだからこそ、いろいろ思う事はありそうです(笑)。

ひーぷー:芸人に関しては言わないけど、劇団員に関してはちゃ〜言い~だよ(ずっと言っているよ)。劇団の最終責任者は俺だから、「なんかそれ〜、そんなの人前に出せるか!?」ってちゃ〜言いしている。昔よりは弱くなっているけど、言葉を選びながら今でもちゃんと言うよ。

松田ナビ:そこも優しくなったと思いましたが、違うんですね。初映画はいい感じで終わって良かったですね!

ひーぷー:でも、撮影後の編集作業は地獄でした。現場でテンションを上げて撮った映像を冷静に見ると、悪くはないんだけれど狙った感じに撮れていなくて、別の形で映像をつなぐ必要が出てきて「どうしよう!」という気持ちになってしまいました。僕の力が完全に至らなかった。

松田ナビ:僕も映画初監督作品『こんな、菊灯りの夜に』の編集中に、「なんでOK出したんだろう?」と思う場面が何度かありました(笑)。

ひーぷー:だよな〜(笑)。現場で俺は浮かれていたんだなって思う。前と後ろを入れ替えても成立させるつなぎ方を編集のプロが見せてくれて、本当にすごいと思いましたね。

松田ナビ:そうですよね。もっと映像ないのか〜って言いたくなりましたし(笑)、プロのすごさが身にしみました。

ひーぷー:出演者としては時々映画の現場に行くから雰囲気は分かっていたけど、裏から見たら全然違う。次に表方で現場行く時は、スタッフさんにもっと優しくしようやっさ〜と思いました(笑)。

松田ナビ:「新しいこともやりたい」と、常にワクワクしていたい気持ちはありますか? 

ひーぷー:自分から積極的にワクワクしに行こうぜというより、ちょっとテンション低く「これこんなやったら面白いあらに?」みたいな感じが好き。それを実際にやって、しに(すごく)ハマります。

松田ナビ:納得です。趣味の車いじりも同じ感覚ですか?

ひーぷー:そうそう。誰も気付かないけどとてもこだわっている。でも見る人が見たら、デージ(とても)やっているな〜って分かる。俺は多分そっちの方が好きだはず。事務所を立ち上げた頃はいろいろやってきたので、今はなるべく力を入れずに面白いことをやりたい。

松田ナビ:ありがとうございます! 共感できる話がたくさん聞けました。最後に展望を教えてください。

ひーぷー:外で芝居ができないか企んでいる。公園を舞台にして芝居をやったら密にならずに楽しんじゃないか、オートバイや車も出せるんじゃないかなど考えているよ。映画は楽しかったからまたやりたい。俺がこんなにテンション上がるのはめずらしい。いつかウチの劇団の役者たちと、一緒に長編作品が撮れたらいいなと思っています。

松田ナビ:ひーぷーさんの作品を見るのが楽しみです。ありがとうございました。




【対談を終えて・・・】

☆ひーぷー☆
しょうのことは、とても頭がいい人だな〜と思っています。話す内容や書く文章でどんな人か大体分かりますが、カテゴリーで分けると多分僕と同じグループ。2人の相方を上手く生かしていこうとするポジジョンで、自分に近いタイプだなと勝手に感じていました。年齢に関係なくいろいろな話ができ楽しかったです。

☆松田ナビ☆
僭越ながら共感できる事がたくさんありました。正解が分からない僕はこれでいいのかと迷う事がありますが、ひーぷーさんの話を聞いて「考えていることが一緒だ」と思い、これでいいのかもと確認できた時間になりました。





【プロフィール】


★ひーぷー
本名:真栄平 仁(まえひら・ひとし)
生年月日:1969年1月28日
出身地:うるま市
趣味:車いじり 
Twitter:@yutashiku1104

★松田 正(まつだ しょう)/ 初恋クロマニヨン
生年月日:1984年8月22日
出身地:読谷村
趣味:ソフトボール/漫画
特技:野球
Twitter:@hatsukoimatsuda

 



 


【インフォメーション】


『島ぜんぶでおーきな祭 第13回沖縄国際映画祭』<各種イベントのオンライン配信もあり>
■ 開催期間:2021年 4月17日(土)~18日(日)
■ 開催場所:那覇市 桜坂劇場、ホテルアンテルーム那覇/北中城村 イオンモール沖縄ライカム

※4月17日(土)10時10分〜桜坂劇場(ホールA)にて、地域発信型映画『闘牛女子。』(沖縄県うるま市/監督:真栄平仁・ひーぷー)、『こんな、菊灯りの夜に』(沖縄県読谷村/監督:松田正・初恋クロマニヨン)上映。
詳細は公式ホームページにてご確認ください。==> https://www.oimf.jp​




饒波貴子(のは・たかこ)
那覇市出身・在住のフリーライター。学校卒業後OL生活を続けていたが2005年、子どものころから親しんでいた中華芸能関連の記事執筆の依頼を機に、ライターに転身。週刊レキオ編集室勤務などを経て、現在はエンタメ専門ライターを目指し修行中。ライブで見るお笑い・演劇・音楽の楽しさを、多くの人に紹介したい。



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