舞台道具に込める思い 組踊を裏から支える職人

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師の言葉「常に工夫を」を胸に
「組踊道具・衣裳製作修理」保存技術者 金城裕幸さん


琉球王国時代のからくり花火「大団羽(おおうちわ)」を背に立つ金城裕幸さん。火を付けると、さまざまな板絵や獅子が展開してくる仕組み。琉球王国時代の1866年、尚泰王の冊封時に披露された花火を、金城さんが約半年かけて見事に復元した=恩納村内の裕工房 写真・村山望


琉球王国時代から300年以上の歴史を持つ組踊。組踊を含めた琉球古典芸能の継承には、演者や奏者だけではなく、舞台道具を作り出す匠の存在も欠かせない。「組踊道具・衣裳製作修理」保存技術者で裕工房(恩納村)の金城裕幸さん(50)に、組踊の舞台道具作りの世界について聞いた。



組踊では、大道具・小道具が場面展開に重要な役割を果たすことも多い。1719年、組踊の考案者である玉城朝薫により初めて上演された『執心鐘入』中には、女が恋心の強さ故に鬼女となってしまうシーンがある。大きな鐘の中から顔を覗かせる鬼女が作品の肝ともなっており、大道具が物語の世界観を印象付ける。

道具が役柄を表すこともある。例えば編笠を頭にかぶって杖をついている人は旅人を表し、金色に縁どられた大団扇は、阿麻和利の持ち物として機能する。組踊には小道具も欠かせないのだ。


からくり花火を復元


組踊「二童敵討」に登場する大団扇を手にする金城さん

金城さんが道具作りに励む裕工房には、取材の日、高さ3メートルはあるからくり花火「大団羽(おおうちわ)」が鎮座していた。1866年に尚泰王の冊封時に、首里城の御庭で行われたからくり花火を金城さんが復元したものだ。昨年10月に国立劇場おきなわに隣接する組踊公園で披露された。

大きな団扇を頂点に模した花火に火が付くと、山と牡丹が描かれた板絵や、緑と黄色の獅子が次々と登場していく仕掛けだ。金城さんは資料に残された一枚の絵だけを頼りに、木や布などで仕上げた。寸法の割り出しや仕掛けの再現などの下準備も含めると、約半年をかけた大作だ。10月のお披露目では「仕掛けがうまく作動してくれるか緊張しました」と振り返るが、その笑顔が無事の成功を物語る。


受け継いだ業 後世へ


大道具には、人が入れるほど大きい鐘など大掛かりなものもあるが、分解や組み立てが簡単にできるように工夫する。琉球王国時代と違い、現代では県内外各地での公演ができるよう移動性も求められるからで、時代と共に道具作りの在り方も変化している。


金城さんが工房の壁に掲げる師匠の故・島袋光史さん(左)とのツーショット写真

柔軟な姿勢で道具作りに励む金城さんの胸の中には、師匠である故・島袋光史さんの言葉が深く刻まれている。「常に工夫しながら作りなさい」―。工房内の壁には、金城さんが約30年前に撮った島袋さんとのツーショット写真が大切に飾られている。

金城さんは「踊りの技術も年々上がっているように、道具作りの技術も進化させていかなければなりません」と言い、常に„完成途中“であることを意識している。

「品のある道具を作る」ということにもこだわる。「使い手が『すてきだ』と感じられる道具を使うことで、実際の演技にもプラスに反映されたら、と思っています。客席からは分からなくても、細部も作り込んでいます」


阿麻和利が手に持つ金色に縁どられた大団扇

額に付ける向立(こうだて)

自身も県立芸術大学で琉球古典芸能を学び、今も舞台に立つ身だからこそ、より一層思いを巡らせることができる。

芸大生時代、太鼓の先生だった島袋さんが道具作りをしている様子をじっと見ていた金城さん。「興味あるか? やってみるか?」の一声に、その日のうちで道具作りの門を叩くことを即決した。戦後で昔の資料がほとんどない中、今ある道具の形を再び作り出したのも、島袋さんだ。

そんな島袋さんから受け継いだ技術を、今度は金城さんが継承のバトンを託す立場になりつつある。仕事の隙間を縫って訪れる漆職人に小道具作りを教えながら、自身も漆の技術を学んで切磋琢磨する。

「好きな人が、好きだからという理由で続けている」世界だというが、道具作りのことを若い世代にも知ってもらおうと、製作過程をネットで紹介するなど情報発信も行う。「こういう仕事もあるんだよ」と金城さんが送るメッセージを次の継承者が受け取り、伝統が続いていくことに期待したい。


(長濱良起)


(2022年1月6日付 週刊レキオ掲載)



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