夜泣きの思い出、プライスレス?!大変だったことは武勇伝に☆えくぼママの沖縄子育て☆


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子育てで大変だった事を話す母親の姿は、武勇伝を語るサムライのようだと思う。
共感する者は、戦友のように感じ、共感しなくとも、尊敬やねぎらいの念が芽生える。

私の武勇伝。それは夜泣きと戦った日々だ。

長男はとてもよく夜泣きする子だった。ほぼ毎日夜泣き。
新生児の頃は、「あぁ〜、これが赤ちゃんか」と思いながら泣き叫ぶ長男を抱っこしたりあやしたりしていたが、半年を過ぎ、1歳になり、朝起きて夜寝るリズムがしっかりついてからも夜2時間おきに泣き叫ぶ。

健診の時に相談しても、「この時期はみんなそうですよ」と諭され、そんなものなのかと自分を納得させた。

しかし、毎晩何度も泣かれると肉体的にも精神的にもしんどく、第二子を妊娠した事もあって長男の夜泣きをどうにかしたいという思いが募っていた。
 

とにかく効果がありそうなものは片っ端から試した。

昼間たくさん運動させたり、ゆっくりお風呂に入れたりマッサージしたり。
安眠できるというアロマを焚いたり、夜泣きに効くという漢方薬を飲ませたりした事もある。
が、どれも効果はいまひとつ。

結婚式に参列するなど、いつもと違う事をしたり刺激が強い出来事があると激しく泣いたりした。
泣いてる最中に歩き回ったり暴れたりすることも時々あって、ママ友からは「夜驚症(やきょうしょう)なのでは?」と言われた。
 

やたら食べ物を欲しがったり、モノを投げたり、同じ事を繰り返し言いながら泣く時期もあった。
「霊的なものかもしれない」と、お姑さんがユタに連れて行ったこともあるが、「車に気をつけるように」と当たり前のことを言われて帰ってきた。笑

ある晩、泣きながら外に出たがる長男のリクエストに応えて、家の前をウロウロしていると、近所の人から「大丈夫?」と声をかけられた事があった。
「うるさくして、すみません」と謝ると、「こどもが泣くのは悪いことじゃないから、謝らないで良いよ」と優しく言われ、涙が出たのを覚えている。

近所迷惑にならないようにと、長男を車に乗せてドライブすることも多々あった。
瀬長島にドライブして、泣きじゃくる長男と一緒に海を見ながら朝を迎えて、自分も泣いていた。

あの頃はとにかく涙もろくて、ささいな事で泣いていた。
睡眠不足で、気持ちが不安定になっていたと思う。
 

長男が2歳を過ぎた頃、次男が産まれた。
長男の夜泣きはまだ続いていた。

2人同時に泣くというカオス状況も頻発。
さすがに泣いている乳児と幼児をドライブに連れて行くのはハードルが高く、窓を閉めて泣き止むのをただ待つことしかできなかった。

夜泣きについて調べても、たいてい「いつかは終わる」と励ましやねぎらいの言葉だけで、夜泣きを終わらせる具体的な方法はわからなかった。

3歳になった頃から徐々に夜泣きの頻度が減っていき、週に数回〜月に数回くらいになった。
この頃には、私も体力がついてきて、「どうせ夜中に起こされるなら、起きてて何かやっとこ!」と、寝かしつけ後に本を読んだり、娯楽を楽しむ余裕も出てきた。

そして、長男が3歳半を過ぎた頃、ついに夜泣きをしなくなった。
喜びと解放感で、しばらくは夜ふかしして1人の時間を満喫していた。
引き続きの睡眠不足。笑

あんなに寝るのに時間がかかって、夜中に何度も起きていたのに…。
今では、布団に入ったら即寝て、朝までぐっすりの長男。
起こしてもなかなか起きないくらいだ。
 

正直、子育てするまでは“夜泣き”がこんなにも大変だとは思っていなかった。
当時は終わりの見えないトンネルにいる感覚で、「いつかは終わる」と言われても辛かった。

けれど、夜泣きを乗り越えた今、過去の自分に向かって言える事はやっぱり「いつかは終わる」なんだよな…と感じている。
以上が、私の武勇伝。

大変なことって、後から振り返ると貴重な経験をしているのかもしれない。
楽しい事はもちろん沢山経験したいけど、大変なことも「いま武勇伝つくってるな」と思って前向きに捉えていきたい。
 

(えくぼママライター ハチ)

 

☆ プロフィル ☆

ハチ

男児2人の母。ストレス解消にキックボクシング始めました。夢は息子と一緒にお酒飲むこと。

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