藍をもっと身近に 藍染なみかわ・並河善知さん


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藍の栽培から染色まで

栽培するリュウキュウアイに囲まれる並河善知さん。500坪(約1650平方メートル)の畑では、リュウキュウアイ、タデアイ、インドアイを栽培している。着ているシャツは自身が栽培した藍で染めたもの=南城市大里 写真・村山望

「ジャパンブルー」という言葉は、明治初期に来日したイギリスの化学者、ロバート・W・アトキンソンが町中にあふれる藍色を見て名付けたといわれている。藍の宝庫である沖縄に移住した並河善知さん(72)は、藍の栽培から染色に至るまで自らの手で行っている。他の植物の染色や、植樹活動などにも精力的に取り組んでいる染色家に会いに行った。

藍の栽培から染料作り、染色、作品製作まで一貫して行っている染色家の並河善知さん。藍染めはもちろんのこと、赤土が原料の「マージ染め」や草木染め、土地本来の木の植樹活動にも携わっている。

藍に携わり約50年。京都出身の並河さんは、大阪万博で見た民芸品に共感し、静岡で染色の技術を学んだ。「リュウキュウアイを実際に見て、本格的に勉強をしたい」と、1973年に船で沖縄にやって来た。

1975年に画家で「沖縄平和祈念像」を手掛けた故・山田真山画伯の手伝いをするようになり、自然や平和の尊さを学んだ。画伯の自然哲学から受けた薫陶は、その後の活動の土台になっているようだ。「『真理を希求しなさい』とよく言われた。平和の種を植えられたと思った」と振り返る。

染色に用いる「泥藍」は葉を水に漬けて発酵させ、沈殿物を精製したもの

77年には結婚を機に、旧玉城村富里(現南城市)に移り、工房「藍染なみかわ」を設立。その後、本部町山里にある比嘉琉球藍製造所の故・比嘉良有さんから技術を学びながら、共に藍作りに励んだ。

異なる3種類を育てる

約20年間に及ぶ週末の本部通いを経て、約5年前から南城市で畑を借り、藍の栽培・研究に取り組んでいる。畑では、沖縄本島で栽培されるリュウキュウアイ(キツネノマゴ科)、宮古島のタデアイ(タデ科)、八重山地域のインドアイ(マメ科)と、3種類の藍を育てている。日差しに弱いもの、日光が必要なもの、多年性・一年性植物など、性質も栽培条件も異なる植物を管理。自身の栽培した藍で、染色技術と藍作りの技術を生かし、さまざまな布製品を生み出している。

赤土汚染をきっかけに考案したマージ染めのTシャツ(左)とフクギ染めの巾着袋

染色家としての探究心は藍だけにとどまらず、マージ染めやフクギなどを使った草木染めも行う。マージ染めは赤土汚染をきっかけに、染色家ならではの発想で、赤土を染料にした技術を開発。環境汚染への警笛を作品に込めた。

2002年、植物生態学者の故・宮脇昭さんとの出会いも今の活動につながるものとなった。その土地に本来生えていた木を植えて、森を再生する活動をしていた宮脇さんの講演に感銘し、フクギなどの植樹活動にも取り組むようになった。「いかに木が人間にとって財産と命を守るものであるかを教えてもらった」と語る。長年の活動が評価され、国土緑化推進機構が選定する2008年度「森の名手・名人」にも認定され、植樹の指導員としても活動している。「(植樹活動は)一生やらないといけない気持ち。木を植えることが山田画伯の平和を願う心につながっている。50年前に植えられた種が、自分の中で少しずつ育っていったのかなと思う」とほほ笑む。

藍染めのTシャツ(右)とストール

藍の魅力を広めたい

︎藍染めの「うちくい」(風呂敷)
ペットボトルを使用した泥藍作りも指導している

「藍を広めていきたい」――。そんな思いからペットボトルを使った藍染め教室などを開催。苗木の栽培から染色までを教えている。空ペットボトルでも藍作りができるように研究し、通常の工程をコンパクトに実現した。ペットボトルに藍の葉を詰め込み、発酵させ、染料のもととなる「泥藍」を作れば、ハンカチ5枚程度を染めることができるという。「一人でも藍を育ててみようと考えてくれる人が出てくれば。そういうきっかけ作りになれば」と願う。

「藍染めは『ちむどんどん』。同じようにやっていても同じ色にはならない。常に変化があるのが魅力」と話す。気温や、植物の生育状況、自分の気持ちなど、さまざまなことが影響するのだという。「藍に必要なのは水と太陽だけ。環境に負荷も掛けずSDGs(持続可能な開発目標)にもつながる」と期待する。染色家としてのまなざしで、藍や植物の魅力を広げていく。
れることも多い。意識しているのは「自分の存在を知ってもらう」こと。

(坂本永通子)


インドアイ(ナンバンコマツナギ)

藍染なみかわ

TEL 090-8761-6170

 

(2022年6月9日付 週刊レキオ掲載)