朝ドラからシャンソンまで幅広く活躍 俳優・ラジオパーソナリティー、きゃんひとみさん


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全ては人との出会いから

東京を拠点に、俳優、ラジオパーソナリティー、シャンソン、落語など幅広い分野で活躍を続けるきゃんひとみさん。太陽のように明るい笑顔とおしゃべりがトレードマーク=那覇市内週刊レキオ編集室 写真・村山望

NHKの朝の連続テレビ小説「ちむどんどん」で、「新垣のおばぁ」役を演じるきゃんひとみさん。東京を拠点に、俳優として舞台や映画に出演するほか、ラジオパーソナリティーや司会者として活躍。BEGINの「うたの日コンサート」の総合司会としてもおなじみだ。さらにステージ上で落語や歌も披露。最近では、シャンソンも歌う。幅広い活動ぶりに驚かされるが、きゃんさんは「最初からやろうと思っていたわけではなく、全ては人との出会いから。ギフトのようにプレゼントされて、こうなりました」と明るく笑う。

「全ては人の縁でここまで来ました」

大学卒業後、就いた仕事が県内のテレビ局のニュースキャスター。「私は人と会うのが大好きで。アナウンサーだと、おじいおばあから知事まで、いろんな人に会えると思ったんです」ときゃんさん。テレビ局は2年で退職。「いろんなことがやりたい」との思いで東京へ飛び出した。あてはなかったものの、不思議と人との縁がつながりタレント事務所へ。テレビ、ラジオの世界で実績を積む。

27歳でカメラマンの夫と結婚し、33歳で出産。そこで思わぬ転機が訪れる。

30代で芝居に初挑戦

乳飲み子を抱えるきゃんさんに舞い込んだのは、なんと舞台主演のオファー。「LIFE ―恩納ナビー今を生きる―」という歌劇で、しかも一人芝居だった。

演劇未経験のきゃんさんは

「子どももいるし、できません」と一度は断った。しかしそこで「子どもがいることは理由にならないの」とスタッフからさとされる。「スタッフは、子どもを保育園に預けて働いている女性たちばかりだったんですよ」

夫にもやってみたらと勧められ、演出の栗山民也さんと会い覚悟を決めた。

「でもそこからが地獄。台本が90ページ以上あるんです。毎日吐いていましたが、そこで鍛えられました」。栗山さんとスタッフのパワフルな女性たちに導かれ、芝居をやる土台ができたと振り返る。

立川志の輔さんの新作落語「親の顔」を披露するきゃんさん(提供)

その後も、きゃんさんの仕事の幅は広がっていく。40代で音楽グループ「琉球歌人三姉妹」のボーカルを担当し、50代で落語を初披露する。

きゃんさんに落語を勧めたのは、立川志の輔さん。「ラジオ番組でご一緒させていただいたら、志の輔師匠が私のことを面白いと思ってくださったのか『落語をおやりなさい』と」

落語もまったくの未経験だったが、自宅の窓ガラスに自身の姿を映しながら練習した。ちょうどその時、インタビューした風間杜夫さんが落語家として活動していることを知り、風間さんをゲストに沖縄で落語会を開いた。初舞台では扇子や手ぬぐいを忘れ、正座を続けて立てなくなるなどの失敗もあったが、志の輔さんから「たいへんよく頑張りました」とのメッセージをもらったという。

シャンソンと朝ドラ

何か新しいことを始める動機になるのは人からの勧め。人との縁がきゃんさんを新しい世界へ導いてきた。

「私、怖いもの知らずだから楽しそうって飛び込んで。飛び込むと大変なことになっているんですけど(笑)」

「銀座deシャンソン スペシャルユニット」ではシャンソンを披露。左からきゃんさん、メイリー・ムーさん、ソワレさん(提供)

60代となった今も、新たな挑戦を続ける。まず一つはシャンソン。2年前に亡くなった夫の遺言から、シャンソン歌手のソワレさん、県出身のドラァグ・クイーンのメイリー・ムーさんと「銀座deシャンソン スペシャルユニット」を組み活動する。「配信ライブを見たBEGINの比嘉栄昇さんから『ねーねー島シャンソンやって』と言われました。島シャンソンが何なのかは、これからひもといていきますけど」ときゃんさんは笑う。

もう一つは「ちむどんどん」への出演。「自然に演技させていただいているのがありがたいです。それにしても、ちむどんどんでおばぁの役をやりながら、シャンソン歌うっていうのも、そのギャップが楽しいですね」と頬を緩める。

「ちむどんどん」で新垣のおばぁを演じるきゃんさん(右)(提供)

「自分がビビビって来たものには、ちむどんどんして全部飛び込んできた。気が付いたら40年たっていて、ふと足元を見たらたくさんの人たちがいて、幸せを感じます」

そう話すきゃんさんの顔には、太陽のように明るい表情が輝いていた。

(日平勝也)

(2022年6月16日付 週刊レキオ掲載)