日々取り組み 土と炎で生み出す 陶芸家 具志堅全心さん かっちん窯


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造形や窯焚きの現場に密着取材

陶芸家・具志堅全心(ぜんしん)さんは、焼締め、または南蛮と呼ばれる土と自然釉(ゆう)の質感を生かした陶器を制作している。得意とするのは壺や酒甕(がめ)など。特定の陶芸家には師事せず、自身で窯を開き、約25年かけて技術を研さんしてきた。写真のような大型作品の造形は数日がかり。一手一手確認するように、呼吸を整えながら形作っていく=うるま市勝連平敷屋 撮影・中川大祐

うるま市勝連平敷屋に「かっちん窯」を構える陶芸家・具志堅全心さん。50代から約25年間、陶芸に打ち込み、技術を磨き続けている。力強い造形の作品たちはどのように生み出されているのか。レキオ記者が半年以上にわたり窯に通い、作業の様子を取材。自身のペースを大事にしながら、土をこね、炎を見つめる姿をリポートする。

独特のひねりが加わった壺、手になじむ茶器や酒器たち。眺めていると力強さや躍動感が伝わってくる。具志堅全心さんが手がける陶芸の作品は、焼締めまたは南蛮と分類されるもの。釉薬は使わず、土本来の色と、登り窯内の偶発的な条件がもたらす窯変の風合いが魅力だ。

心おだやかに作る

50代で経営していた水道工事の会社を早期退職した具志堅さん。約25年前、中城湾を見渡せる勝連半島の土地に「かっちん窯」を開く。登り窯や作業場などの建造はほとんど自身で手がけたそうだ。特定の陶芸家に師事したことはないが、故・中川伊作さんや故・國吉清尚さんの窯に通い、見聞を深めていたという。窯を開いてからは、一人黙々と陶芸に打ち込み、技術を磨いてきた。

土をこね、作品を造形する具志堅さんは、「うん、うん」と確認するようにつぶやくことがある。深呼吸に合わせて、手や道具を動かすことも多い。心おだやかに、平常心で作業することが、力強い造形を可能にしているのだ。

「これ作るのが楽しいわけよ」。そう満面の笑みで話すのは、龍の装飾を施した壺。実際の生き物の角や牙を参考に造形し、細部を突き詰めている。装飾が少ない壺と比べ、造形にかかる時間は2倍以上。焼成がうまくいかないこともあるが、一貫して作り続けている。焼く度に造形を見直すことにも余念がない。富士山を数多く描いた北斎のように、作り続けることで龍という題材を極めたい、と教えてくれた。

具志堅全心さん

窯焚きを体験

工程のハイライトとなるのは、登り窯で7日間にわたって行う窯焚き。期間中は火を絶やさず、400度~1250度まで、徐々に火の勢いを上げていく。窯焚きは一人でこなすことができないため、具志堅さんは家族や知人らに依頼し、交代で火の番をする。

1月に行われた窯焚きでは、記者も1回6時間の火の番を3日間担当した。薪として主に使用したのはモクマオウの幹の部分。1本の重さは数十キロ。薪を窯の火口に差し込むだけでも重労働だ。

窯焚きの様子。1000度近くになると、火口の近くで立っていられるのは十数秒。強烈な熱から逃げるように、距離を取りながら薪をくべる

最初の数日間は、ゆっくりと薪を燃やす。「窯の中を見てごらん」と具志堅さんに促され、火口をのぞくと、薪からはぜた火の粉が舞っていた。火の粉は灰となり、窯内の作品に降り注ぐ。窯焚き終盤、温度が1000度付近になると、灰は溶けてガラス質となり、作品に独特の文様や色合いをもたらす窯変が起こる。

窯変とは、登り窯内の温度や炎が不均一であるために起こる化学変化だ。作品の完成度を左右するにも関わらず、作り手の意図が及ばないため、無作為の美として珍重されることがある。

火の番をしながら、窯の脇に置かれた手彫りの不動明王を指さして、具志堅さんはこう言った。

「あれは『欲と煩悩を捨てなさい』と言っているよ」

丹精込めて造形した作品は、最後の工程を登り窯に委ねて完成する。労を惜しまず、失敗を恐れず、力みすぎずに陶芸に向かうことで、想像を超えた作品に出合える│。具志堅さんの言葉には、そんな意味が込められていると感じた。

コップやおちょこなど、普段使いにぴったりな作品も制作。小さな器の表面にも、マットな質感とガラス質の部分が混在し、窯変の奥深さを感じられる

後日、窯変の質感と手仕事の技を凝縮させた作品たちが窯から取り出された。仕上がりを確認すると、具志堅さんはあまり日を置かず、また新しい作品に取り掛かる。

作業する後ろ姿から、継続して取り組むことの大切さがずっしりと伝わった。

(津波典泰)


かっちん窯

沖縄県うるま市勝連平敷屋864
TEL 090-3199-0396

※電話は日中のみ。作業中で対応できない場合や、不在の場合もあります。十分なゆとりを持って訪問していただくようお願いします


 ぐしけん・ぜんしん。1946年生まれ。水道工事会社の経営を経て、50代で本格的に陶芸を始める。家族は浦添市に住み、作業場であるかっちん窯には毎日一人で“通勤”している。龍をあしらった壺は、毎回力を入れて造形しているもの。作るごとに立体感やディテールが増している

(2023年3月16日付 週刊レキオ掲載)