「普天間」のママ、パパたちが企画した「ことりフェス」 大人が子どもたちのためにできることって何だろう?


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3連休初日の12月22日(土)の午後2時半から、宜野湾市立中央公民館で「ことりフェス」というかわいい名前の音楽&トークフェスが開かれる。

沖縄が誇る唄者、古謝美佐子さん、演芸集団FEC、むぎ(猫)などが出演するほか、サンタクロースからのプレゼントに子育てリレートークと大人も子どもも楽しめる、入場無料のイベントだ。

なぜこの時期にこんなフェスを開くのか。

子どもの命は?目の当たりにした現実

フェスを主催するのは宜野湾市野嵩の緑ヶ丘保育園の保護者やミュージシャン、編集者、アナウンサー、大学教員などで作る実行委員会。代表者の与那城千恵美さんは「『あれから1年。事故のことを忘れないために、被害に遭った当事者が孤立しないように何かできないか』という飲み仲間の会話からフェスのアイデアが生まれ、賛同者が広がっていった」と話す。

1年前の2017年12月7日。与那城さんの子どもが通う緑ヶ丘保育園の屋根に、米軍ヘリの部品が落下した。「ドーン」という2度の衝撃音と共にトタン製の屋根に落ちていたのは円筒状のプラスチック製の部品。米軍ヘリの部品だった。落ちた場所が屋根ではなく、園庭だったら…、子どもに当たっていたら…。自分の子どもの命が危険と隣り合わせ―という現実を保護者たちは目の当たりにした。

保育園の屋根に落下した米軍機の部品カバー。後ろでは県警が捜査をしている=2017年12月7日、宜野湾市野嵩の緑ヶ丘保育園(金井創さん提供)

事故から6日後の13日には、保育園から2キロほどしか離れていない普天間第二小学校の運動場に米軍ヘリの窓枠が落下。同校では米軍機が学校上空を通過するたびに児童が避難するという異常な毎日が続いている。

普天間第二小学校の上空を飛行する米軍機=9月21日、宜野湾市喜友名

活動はすぐに終わるはずだった…

保護者たちはすぐに事故の原因究明と保育園上空の飛行停止を求める署名活動を開始。「子どもたちを守りたい」という思いは全国に共感が広がり、約14万筆の署名が集まった。それを持って沖縄県や宜野湾市、沖縄防衛局へ要請した。これまでこのような活動はしたことはない普通のお母さんたち。「署名を集めて要請すれば、あとは行政が代弁者として米軍に働きかける」と思っていた。しかし、違った。

「まさか1年たっても活動を続けなければいけないとは思わなかった」。事故当時、保育園の父母会長だった宮城智子さんは言う。「涙を流して思いを伝えても素っ気ない対応をされたり、最初から話し合うという姿勢ではなかったり…。何をやっても意味がないのかなと思ったこともある」と明かす。

宮城智子さん

緑ヶ丘保育園の事故について米軍は落下物がヘリの装置のカバーであること、同じ時刻に1機のヘリが飛行していたことは認めているものの、飛行中の落下ではないとしている。つまり「米軍による落下事故」として認めていないのだ。そのため、保護者が声を上げ続けなければ、事故がなかったことにされる恐れがある。自分の子どもの命が危険にさらされたのに、なかったことにはできない。その思いが保護者を突き動かす。

頭上を米軍機が飛び交い、話し声が米軍機の騒音にかき消されることは普天間飛行場に隣接する地域ではもう何十年も前から続く日常だ。しかし保護者たちは「今の状態は普通じゃない。米軍機ではなく鳥だけが飛ぶ空がいい。小鳥のさえずりが聞こえる場所がいい」と事故を境に気がついた。その思いをフェスの名前に込めた。

楽しめなかった昨年のクリスマス

フェスには事故を風化させないという目的のほかに、「子どもたちを楽しませる」というもう一つの目的もある。「去年のクリスマスは楽しく過ごせなかった」と与那城さんは振り返る。事故が起きてから、署名活動、取材対応、市民集会とめまぐるしい毎日だった。お母さんたちは家事や育児、仕事をしながら、活動を続けた。

与那城千恵美さん

「いつもはクリスマスケーキを買って、動物園に連れて行くけど、昨年はできなかった。ほかの家庭も心からクリスマスを楽しむことはできなかった」。昨年の分も子どもたちを楽しませたい。そんな思いもフェスという形につながった。

フェスの出演者への交渉もフライヤーやステッカーを作りも自分たちでした。入場無料のイベントにするため、広告をとりお金を集めた。反応は上々だ。

「私たちが訴えたいのは、基地問題ではなく、子どもを守りたいという1点だとようやく伝わり始めたかな」

フェス会場で寄付をしてくれた人にプレゼントするステッカー。プロのデザイナー、緑ヶ丘の保護者が手がけた

沖縄中どこでも

「普天間」は沖縄の基地被害の象徴的な場所として語られる。でも、米軍機の事故は普天間周辺だけで起きているのではない。緑ヶ丘保育園、普天間第二小学校の事故の後も、2018年1月にはうるま市の伊計島と読谷村の民間地にヘリが不時着。6月には那覇の南方80キロの海上に嘉手納基地所属のF15戦闘機1機が墜落した。さらに11月にはFA18戦闘攻撃機1機が南大東島沖に墜落するなど、米軍機の事故は沖縄中で起きている。

緑ヶ丘や普天間第二の保護者たちは事故の一報を聞いた時、不安と恐怖でいっぱいになった。与那城さんは事故を保育園からのメールで知った。そのメールには子どもたちが全員無事であることが記されていたが、夕方お迎えに行き、娘の顔を見た瞬間、ほっとして涙が出た。「私たちが体験した怖い思いをもう誰にもさせたくない」と力を込める。

安全保障や外交、防衛の視点からではなく、子育てや教育環境の問題として、「普天間」や沖縄の今をどう見るのか。大人たちができることは何なのだろうか。「同じように子育てをしている人たちと考えたい」と呼び掛ける。

~ この記事を書いた人 ~

 玉城江梨子(たまき・えりこ) 琉球新報編集局デジタル編集担当。新聞記者として約15年沖縄各地を取材。沖縄の本当の良さを全国の人に届けたいと思っています。