<金口木舌>コザ暴動


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 群衆が裏返そうとした途端にガソリンが流出し車両は炎に包まれた。投石もあった。焼け焦げた車はそこかしこ。米統治下の1970年12月20日、今の沖縄市で発生したコザ騒動の光景だ

▼酔いがさめるように翌朝には沈静化した。その光景をヘリで視察した米陸軍のジョン・J・ヘイズ少将は振り返って、こう話したという。「まるでベトナムの戦場そのままだった」
▼発生から45年たった20日、沖縄市でシンポジウムが開かれた。本紙OBで当時、コザ市を担当した高嶺朝一さんが、退役したヘイズ氏の話を紹介した
▼そのコザ騒動の特性を、「コザ暴動を語る会」の古堅宗光さんが解説した。「リーダーがおらず、死者が出ず、略奪も起きなかった不思議な暴動」と。圧政に耐えかねても自制が利いていたのか
▼論語の「怒りを遷(うつ)さず」の一節が思い浮かんだ。「惟(た)だ仁者のみ能(よ)く人を好み、能く人を悪(にく)む」の言葉と連動する。自らの素直な感性を信じて好む人を好み、憎むべき人を正しく憎む。怒りを弱い立場の人へ遷(うつ)してはならないといさめる
▼相次ぐ米兵の凶悪犯罪に司法は機能せず、無法のごとき時代。騒動の渦中では米兵でも、差別を受けている人種には「手を出すな」との叫びもあったという。理不尽は今も手を替え、品を替えあれど「憎むべき」光景がいまだに続くことを嘆く。