<金口木舌>ユネスコ70年


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 旧五千円札に描かれていた新渡戸稲造。1984年にお札の肖像画となるまでは、あまり知られた存在ではなかった。「太平洋の橋になりたい」との夢を持ち、国際人の先駆けとなって活躍した

▼第1次世界大戦後に発足した国際連盟では事務次長を務めた。文化の側面から平和を実現したいと、世界の有識者に呼び掛け「国際知的協力委員会」をつくる。アインシュタインやキュリー夫人ら著名な顔ぶれ12人が集まり、議論を重ねた
▼その後、日本は軍国主義の道を突き進み、33年には国際連盟を脱退。半年後に新渡戸は病で命を落とす。第2次大戦勃発で委員会は消滅したが、新渡戸が託した理念は、戦後、ユネスコ(国連教育科学文化機関)として生まれ変わった。ちょうど70年前のきょうのことだ
▼ユネスコはこの間、途上国の教育支援や世界遺産の保護など多くの功績を残してきた。国際平和と人類の福祉向上につながる活動だ
▼ところが今、日本は今年の分担金38億円超の支払いを保留している。昨年、「南京大虐殺」資料が世界記憶遺産に登録されたことへの反発が理由だ。審査制度の改善を求めるなら堂々と主張すればいい。金銭で圧力をかけるのは卑劣ではないか
▼新渡戸が国際社会で評価されたのは、各国から厚い信頼を集めていたからだ。あれから1世紀。大人げない振る舞いしかできない国は情けない。