<金口木舌>水俣病から学ぶ教訓


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 少女はたばこに火を付け、寝たきりの祖父の口に添えてあげた。漁師の祖父はたばこ好き。寝返りを打てず話もできない闘病は10年間続いた

▼祖父は水俣病だった。少女も母が妊娠中に、母が食べた魚の影響で水俣病を発症、自分で服の脱着ができなかったが、祖父に寄り添った。病院に通いながら小学校へ入学できたのは10歳
▼少女の名は前田恵美子さん(62)。現在は水俣湾のヘドロで埋め立てた土地で花を育てる仕事をしている。水俣病資料館の語り部でもある。話を聞きに来た子どもたちに「いろんなことがあるけど立派な大人になってください」と語り、ほほ笑んだ
▼水俣病が公式確認されてから今年でちょうど60年。長い歳月がたった今も、前田さんのような胎児性水俣病で、近年発症する人もいまだいるという。認定患者約2300人、一定の症状がある救済対象者は約5万人。病気との闘いは終わっていない
▼原因が水俣湾の魚とほぼ特定できた後も、大企業チッソや、その恩恵を受ける街の利益を優先し、対策を打たず汚染が続いた。国や熊本県の法的責任が確定したのは公式確認から50年近くたった2004年の最高裁判決だ
▼チッソはじめ行政、政治、司法などの「不作為」が被害を広げた。住民の命や人権より経済を優先した結果招いた悲劇だ。国策優先が進む沖縄にとっても、学ぶべき教訓は多い。