<社説>兵庫県人会70年 沖縄を支える力強い志だ


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 兵庫県在住の沖縄県系人の絆を紡いできた沖縄県人会兵庫県本部の第70回定期大会が開かれた。600人を超える会員らが参加し、戦後70年の節目を祝った。

 しまくとぅばが飛び交う中、ウチナーンチュの誇りと70年の歩みをかみしめつつ、県人社会と母県の発展に貢献することを誓い合う場となった。
 特筆されるのは、名護市辺野古の新基地建設を止めるため、反対運動を支援する「辺野古基金」への寄付に組織で取り組むことだ。
 大城健裕会長が「故郷の美しい海を守り、沖縄県民にこれ以上の基地負担を負わせてはならない」と基金への賛同を呼び掛け、この日だけで16万円超が寄せられた。
 世論調査で7割以上が「新基地ノー」を示す母県の民意をわがこととして受け止め、具体的行動で支える取り組みは大変力強い。
 大城会長ら有志は6月に辺野古の座り込み現場を視察し、新基地建設の不条理を肌で感じ、組織で共有してきた。母県を支える社会的メッセージを宿した活動に踏み切る志を高く評価したい。
 兵庫の県人会の原点は終戦直後に海外や疎開先から引き揚げてきた県人への支援活動にある。救援物資や見舞金の確保に向け、関西圏に住む県人は全力を尽くした。
 米軍統治下に置かれた故郷にはパスポート(旅券)がなければ渡れず、手続きをするにも「3~4日も仕事を休まねばならなかった」(大城会長)。手続きの迅速化のため、県人会は代行業務を担うことを希望した。兵庫県はその思いを酌み、代行を認めてくれた。
 1950~60年代まで本土と逆に県内では結核患者が増え続け、1万人を超えた。ベッドが全く足りず、重症患者は自宅で伏せった。
 窮状を知った兵庫県人会はまず11人の重症患者の受け入れに奔走し、沖縄から本土の療養施設に重症患者2800人超を送り出す突破口を開いた。戦後の結核対策の金字塔の源流は兵庫にある。
 本土復帰後、県人青年層が中心となって支援金を集め、沖縄に「友愛スポーツセンター」が寄贈された。兵庫県民の厚い協力を得た物心両面の母県への支援と多彩な交流の継続は際立っている。
 兵庫県本部は14の支部、青年部、婦人部が活発に活動している。県人社会の強固な絆を保ち、母県に寄り添い続けてもらいたい。