<南風>古くて新しいことの始まり


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 27歳の時に「おきなわJOHO」の立ち上げに参画した。あまりお金にはならなかったが、若き沖縄の文化の担い手たちと一緒に沖縄サブカルを盛り上げて、一時代を築いていった。30歳になってフリーライターとなり、その後もJOHOとつかず離れず県内外に沖縄の文化を発信した。

 ところが2011年の3月号を発行した後、28年間続いた「おきなわJOHO」は突然休刊した。読者の興味や趣味の多様化、ネットなどの普及により情報発信の細分化、時代の変化や流れとはいえ、ボクは創刊号から最終号の通巻327号にわたって1号も休むことなく原稿を書き続けていたので、今風にいう「JOHOロス」になった。

 それでも原稿を書き続けていたら、13年末に泡盛関連の業界紙「醸界飲料新聞」で記事を書いている河口哲也氏と知り合った。「醸界飲料新聞」はかつて家宝であった泡盛が、戦後、大量の外国産ウイスキーに押され、まずい酒、貧乏人の酒というレッテルを貼られたことに、危機感を覚え「泡盛こそ沖縄県民の文化遺産であり、不当な扱いを受けてはならない」と義憤に駆られた仲村征幸氏が、1969年に創刊した新聞である。

 発行は年に数回。何人かの協力者や弟子はいたものの取材、編集、営業、配達、集金をほぼ一人で行っていた。最後の門下生の河口氏は、泡盛をもっと広く世に知らしめるにはネット配信が早いと、仲村氏が亡くなる直前に許可を得て、泡盛のポータルサイトを立ち上げることにしたのである。

 河口氏に声をかけられて、15年9月から一緒に始めたのがWEB版「沖縄泡盛新聞」である。プロフィルに「泡盛を沖縄そばと島豆腐をこよなく愛す」と書いていたが、取材をすると泡盛のことは何も知らないのだなぁと思い知り、新たに泡盛を知ろうと仕事を始めたのであった。
(嘉手川学 沖縄ふうどライター、沖縄泡盛新聞編集委員)