コラム「南風」 なんくるないさ


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 後世に伝えたい言葉がある。沖縄の先人たちが残してくれた大切な島言葉。言葉に罪はないが、言葉が独り歩きを始めた時、その言葉は本来の質感を失っていき、そして異なった意味を含んだ別のものになってしまうことがある。「なんくるないさ」は、今や「なんとかなるさ」という意味で使われることが多いが、本来は「まくとぅそーけーなんくるないさ」の定型句を構成する言葉である事を知らない人も多いのではないか?

 人として「まくとぅそーけ=正しい事、真(誠)の事をすれば」「なんくるないさ=何とかなるさ」を意味する。「挫(くじ)けずに正しい道を歩むべく努力すれば、いつか良い日が来る」という意味である。単に「何とかなる」と言う楽観的見通しを意味する言葉ではない。
 本当は、自分たちの力じゃあどうにもならなくなった時に、目上の人や、周囲の人たちが、祈りとともにかけてあげる言葉なんだという事を知り、その言葉の持つ音の柔らかさと、優しさと明るさみたいなのがとても心に染みてきた。
 ある企画で参加してくれた方が、一人何役もこなし行う戦争劇の中で、おばぁ役をしながらこの言葉を発するのを聞いた時、私はこの言葉の持つ本当の力強さと、そこに込められたさまざまな思いを感じた。きっとこの言葉には、ずっと侵略や戦争によって翻弄(ほんろう)されてきた沖縄の人の救いや、祈りや、慈愛や、いろんな意味が詰まった言葉なのかもしれないと私は思う。生きることを真剣に考え、つらさの中から導き出された力強い言葉。
 世の中はつらさにあふれ、物事の大半はうまくいかない事ばかりかもしれないが、一生懸命生きていれば、きっと幸せにつながる。「なんくるないさ」は、それを信じるために発せられる先人たちが残してくれた大切な島言葉なのだと私は思う。
(山川杉乃(やまかわすぎの)、うみない美代表)